喜びをたくさん分かち合うと悲しみも分かち合える




 

 勤労感謝の日、朝から聞こえる雨音になかなか布団から起き上がれず、「もう少し、もう少し」と温もりを感じながら朝寝坊をしてしまいました。祝日前にはあれしてこれしてと計画をするのに、現実にはあれもこれもできず「少しだけのんびりできたかなぁ」という過ごし方をしてしまいます。

 ラジオをつけると、「秋の童謡」が流れてきました。サトウハチローさんの「小さい秋」を聞いていると、以前遠野を旅した光景が蘇ってきました。葉っぱが落ちた柿の木、栗が顔を出したイガ、真っ赤なハゼの葉と錦絵のような紅葉が曲と重なりました。サトウハチローさんは布団の中で寝そべりながら作詞していた時、窓からハゼの葉が落ちてきて、この曲を書いたそうです。布団の中は同じなのに私はぐうだら、「凡人はこんなもんだ」と開き直ってしまいました。「夕焼け小焼け」「里の秋」「赤とんぼ」幼い日に口ずさんだ童謡はどれも物悲しいものですが、私が歌った童謡はふるさとのような温もりを感ずるものばかりです。カーテンの隙間から日差しを感じ、開けると鮮やかな紅葉に「ダラダラしている場合じゃないぞ。秋から冬に移り変わる自然を楽しまなくっちゃ!」と目覚めた体に力が入りました。

 

野の花の原稿を考えていたら、次のようなことを思い出しました。子どもは『コンペイトウの角ができるように成長する』ということです。コンペイトウは小さなけしの実を砂糖水が入った大きな鍋の中に入れて、ゆっくりゆっくり混ぜ合わせると、小さな角を作りながら大きくなるそうです。子どもも同じだと思います。誰にも得意な部分があって、幼稚園という大きな鍋の中で、たくさんの子ども達と遊ぶことによって、この得意な部分がコンペイトウの角のように大きくなっていくからです。

 私達大人はとかく子どもに大きな期待をかけ、それをかなえられれば喜び、期待はずれに終われば落胆したり、子どもを責めたりしがちです。しかも他の子どもと比較してより早く、人より優れてと願うのですが、幼児期の子どもにとって、より早く、より優れてということにどれだけ価値があるのでしょうか。

たとえば、入園当初の4月生まれの子どもと3月生まれの子どもを比較してみると、約1年遅れで生まれてきた3月生まれの子どもは何につけてもゆっくりしているのが当然です。しかし、大きくなった時までそのような差があるはずがありません。このように幼児期の成長発達には個々の子どもで大きな違いがあり、それぞれの成長のペースがありますが、『そのペースでいいんだよ』と認められることが子どもにとっての幸せであると思います。

以前、レストランごっこをしていた時のことです。Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん3人が一緒に遊んでいました。AちゃんとBちゃんはある程度字が書けるので、レストランのメニューを書き始めました。しかし、Cちゃんは字が書けません。そこでAちゃんに違う遊びをしようと伝えますが断られ、しかも字を書けないなら仲間に入れてやらないと言われてしまいました。そこでCちゃんはBちゃんに助けを求めると、先生に字を教えてもらえば良いとアドバイスを受けました。Cちゃんは先生にメニューに書く字を書いてもらい、それを見ながら字を書くことで、AちゃんBちゃんの遊びの仲間になることができました。この場合のCちゃんの学びは大変豊富なものです。字はもちろんですが、友だちの中にはAちゃんというような子どももいれば、Bちゃんという子どももいて、そういう子どもと付き合うためには、同等な知識が必要になることがあるということを学びます。そして、こんなとき先生は力強い味方であるなど、人間関係や言葉の発達に関しても大切な体験をし、学びとったと思います。

子ども達が幼稚園で行う遊びはこのように大変複雑で多様な学びのときなのです。だから、こうした体験ができる時間を、大切にじっくりと歩ませることが必要なのです。ゆっくりと足もとを踏みしめながら歩んでいくような育ちでなければ、足腰の強い、底力のある子どもが育たないといっても過言でないと思います。

 

「夫婦喧嘩から学ぶ生きる力」という面白い論文を見つけました。「喧嘩はとにかくいけないこと」という教育を受け、適切な自己主張の方法を学んでこなかった親と、「夫婦喧嘩は家の恥」という価値観の日本文化と、「夫婦喧嘩は子どもの前ではしていけないこと」とする育児書などの影響で「夫婦喧嘩は悪いこと」とされてしまっていますが、夫婦で考えが違うことが悪いことではないということです。幼稚園も同じで、子どもの喧嘩がない幼稚園はありません。「喧嘩があって当たり前」という前提で考え、適当な「喧嘩能力」を身につけさせたいと思います。上手に喧嘩をし、そして、喧嘩を収める能力がまさに「生きる力」です。幼稚園では喧嘩が起こっても、お互いに反省し、謝りあって仲良くなるまで、保育者が援助しています。

子どもが子どもの世界でさまざまな経験をし、子ども社会でもまれて傷つくことに関して親は何もできないかもしれません。親ができることは、もまれて帰ってきた子どもを包んであげることではないかと思います。確かに、もまれることは辛いことと思いますが、それを親が懐に抱いて癒してあげることよって、再び子どもは外に出ていくと思います。この繰り返しが子育てだと思います。

ある学者が『せめぎあい、折り合って、お互い様』と言っています。幼児期に「喧嘩して仲直り」を繰り返すことによって人間関係を豊かにしていきたいと思います。「あなたがいてうれしい。」という喜びの感情を、周囲の人たちとたくさん交換した子どもほど、「○○ちゃんがかわいそう」という、やさしい気持ちや、「ぼくがこんなことをしたら○○ちゃんが悲しむ」と思いやる気持ちを持てるようになると思います。

子ども一人ひとりの思いを大切にしながら、子ども同士が認め合い、育ち合うようにと祈りながら歩みたいと願っています。

                  2016・11・25    近藤瑠美子

      










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