子育ては楽しい! 

新緑の美しい季節となりました。幼稚園のソメイヨシノが散ったころ、我が家の桜が開花しました。桜好きだった父がずっと昔に、めずらしい桜の苗木を2本植えたものです。

 1本は幼稚園のお庭の入り口に植えたものと同じ「菊桜」です。菊桜は花びらが年とともに多くなり、多いもので一輪の花に250枚の花びらがあるそうです。蕾の時にはぎっちり詰まっていて紅色をしていますが、開花すると色が薄くなっていき、散るときは花ごとポトリと落ちる桜です。

 もう1本はウコンの桜です。数百品種ある桜のなかで唯一黄緑色の花を咲かせ、花が八重の桜です。ソメイヨシノの開花の折には、花見でにぎわいますが、時期がずれてひっそり咲いているこの桜を愛でる人は少ないように感じます。私はそんな清楚なこの桜を眺めるのを楽しみにしています。しかし、あっという間に散ってしまう桜に、はかなさを感じますが、しばらくすると、青々とした若葉に覆われ、新たな息吹を感ずるのは子どもの成長の姿と重なるようにも思います。

 

 長いゴールデンウィークを皆様はどのようにすごされたでしょうか。

私も今年こそは家事を早めに終えて、ゆとりの時間を楽しもうと思いました。やりたいことは次々と出てくるのですが、締め切りがせまったPTA新聞原稿と野の花の原稿の事が頭の片隅にありなかなか開放されませんでした。物事をどうせするなら、嫌々でなく面白がることができるようになれたらいいなあと思います。皆さんの子育ても「毎日の子育てが楽しい!」とまでは言えなくても「子どもと一緒にいると面白い!」と、子どもの遊ぶ姿や生活する姿を面白がりながら子育てしていると、お母さんの生き生きした顔を見る子どもも楽しくなり、子どもの中に生きる喜びや希望を育てることができると思います。

 

確かに子育てはつらい仕事です。私も自分の思いどおりにならず、それどころか自分の思いとは違う方向に引っ張り回され、子育てに没頭している間に、自分は社会から取り残されるのではという焦りや、焦燥感に陥ることさえありました。そんな思いやイライラ感を子どもにぶつけて、さらに落ち込んでしまうという悪循環の日々を過ごしたこともありました。しばらくして分かったことは、嫌々だとそこからは何も生まれないのだから、それよりも子育てを楽しいものにするための努力をしようと思うようになりました。

最初に取り組んだのは、おやつ作りでした。ケーキやシュークリーム、クッキーなど手作りのおやつを子どもに作ってあげました。さらに手芸に挑戦して不器用な私が子どもに手作りのものを持たせることができました。

その当時、私の子どもたちは季節の変わり目に喘息発作を起こしていましたから、よく近隣の野山で遊ばせ身体を鍛え、耐える力と健康を手にすることができたと思います。とても手間暇のかかる仕事でしたが、当時専業主婦をしていたからできたと自負しています。

 

最近、卒園した保護者から次のようなお話を聞くことがあります。

「子どもの気持ちがどうしても理解できないのです。」

「自分の子どもなのに子どものことが、かわいいと思えないのです。」

「しつけと虐待の違い、いったいどのように考えたらいいのでしょうか。」

「子どものわがままをそのままにしていていいのでしょうか。」

と、子どもの成長と同時に親の子育ての悩みが深刻化しているように感じます。どうしてこれほどまで、親たちは子どもと気持ちを合わせることが苦手になってしまったのでしょうか。それだけではなく、親同士も理解しあう交わりが少なくなっているように感じます。

 

 私事で恐縮ですが、どうしても老婆心から昔ばなしを語らずにはいられません。

 私の育った頃は日の暮れるまでおにごっこやかくれんぼ、助けおにやビー玉遊びをして、友だちと自然の中で遊んでいました。家の中ではおばあちゃんからお手玉や折り紙やおじゃみ等、手先を使う遊びをいっぱい習ったり、いろんな昔話を聞いたりして育てられました。どんな遊びも頭や手先や体を使うものでした。鬼ごっこなどは人と関わる力を育て、集団活動の練習をしていたように感じます。昔話は親から子へと語り継がれ、その昔話は親のぬくもりと一緒に今も残っています。私は昔話や童謡が日本人の心を育てたように思います。

 

 最近耳にする「虐待の連鎖」はこれとは反対で、親から子、子から孫へ自分が受けた虐待の体験を知らず知らずにやってしまうという悲しい連鎖が行われているということです。私たちが子どもに残さなければいけないものは愛情の連鎖であり、それを次の時代に受け継がれるようにする責任を担っています。

 

 今の若い世代に引きこもりやニートの人が多いことがクローズアップされています。人とコミュニケーションができないために引きこもる若者、働く気持ちはあるけれど様々な事情で安定した職や住居が見つからないためにニートになってしまった若者がいます。その人たちの育ちで何が問題だったのか、そして、これから何を見直すべきかと考えさせられます。

 

 もし子どもを育てるコツは何かと問われたら、私は与えられた能力を使うことだと答えます。人間に与えられた能力とは、「よく見る、よく聞く、よくまねる」ことだと思います。そのためには子どものそばによい見本が必要です。家庭では親や家族ですが、幼稚園ではいろんな友だちとの出会いです。憧れの友だちに出会うことです。自分も同じようになりたいと憧れの友だちのまねっこを始めます。


 昔の子どもの遊びには家の中でも、外でも親のしている遊びをまねっこする遊びがたくさんありました。おじゃみもけん玉、こままわし、あやとり、折り紙をするときに、「上手になりたかったら、上手な人の技を盗みなさい」と言われました。技を盗むとは「考えながら見る」「考えながら聞く」そして試行錯誤しながら、同じようにできるように工夫することです。しかし、最近の子どもは人の話を聞かない、よく見ないし、まねっこしないのです。ままごと遊びはまねっこ遊びですが、そのままごと遊びが年々できなくなっているのです。それは台所に来ると邪魔なのでテレビを見ているから、台所で仕事をしているお母さんを見ていないし、台所の音を聞いていないから、まねっこができないのです。

子どもは繰り返しの刺激を受けて育っていますが、最近の子どもたちのごっこ遊びに、病院ごっこが多いのはそれほど、生活の中に病院通いが繰り返されているのかと考えてしまいます。

 

子どもが幼稚園に慣れてくるとお友だちとのトラブルが多くなってきます。『○○ちゃんが遊んでくれない』『○○ちゃんが押した』『○○ちゃんがいじめた』と子どもがお母さんに報告するので、親の方がストレスを感じてしまうことがあります。子どもはいろんな遊びを通してお友だちと出会い、負けて悔しかったり、勝って嬉しがったり、いっぱい経験しながら挫折に対する免疫もしっかり育てていってほしいと思っています。

 

 幼児虐待や親子関係の悲しい事件が続く昨今ですが、私はお母さんが『子育ては楽しいもの』と思えるような子育てのお手伝いをしたいと思います。

 ところで、皆さんは愛はお母さんから子どもへの一方通行と思っていませんか?そうではないのです。お母さんも子ども達から愛をもらい、生きる力をもらっているのです。

「生まれてきてくれてありがとう」と思われたことがあったと思います。

「先生、おはよう」と元気の良い子どもの声に、私たち保育者も子ども達に愛をいっぱいもらっています。        

        
                                                           2015年5月15日   近藤瑠美子

 








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