先月からすみれ組、たんぽぽ組、ばら組と引き続き、保育参観、クラス懇談を行ってきました。

保育参観をされる保護者は一様に「普段の子どもの姿をみたい」と話されますし、私たち保育者もできる限り普段どおりの保育をしたいと願いますが

子どもたちはお母さんが来られると、お母さんモードのスイッチが入って、お母さんにベッタリくっついたり、お母さんから隠れてしまったり、

お母さんのアイメッセージを確認したり、友だちの後ろに就いて回ったり、その姿は様々ですが、友だちと遊ぶどころではなくなっています。




 私たちは子育てをするときに賢い子に育てたいと願います。その賢い子を育てるコツは『よく見る、よく聞く、よくまねる』ことだと思います。

人の話をよく聞くこと。そして、人がやっていることをよく見ること、よくまねっこするということです。まねっこするということはコピーするのとは違います。

例えば、幼稚園でお友だちが鶴を折るのをみて、驚いた子どもが家に帰って、「お母さん、紙ちょうだい。Aちゃんがこんなんして

こんなんして鶴作ったんよ。」と思い出しながら鶴おりに挑戦し、自分でも出来るようになるとか、コマまわしや竹馬、縄跳びなどに自分から

挑戦しようとする子どもの姿です。

幼稚園には様々な手遊びや体を使った遊びを用意しています。友だちがしている遊びをよく見て、まねっこできる遊びです。




 昔から「上手になりたかったら、上手な人の技術を盗みなさい。」といわれています。技術は盗めません。

「考えながら見る」「考えながら聞く」、そして、試行錯誤しながら、それと同じことができるようになれということです。工夫してそれを超えるということです。

しかし、人の話を聞かない、よく見ない、まねっこしない、最近そんな子どもたちが増えているように思うのは私だけでしょうか。

お母さんが料理をしているときに、台所に子どもがいると邪魔だからテレビを見せているので、お母さんの台所の仕事を見ていない、聞いていない

まねっこしていないからままごと遊びでは、台所のお母さんの姿を再現できず、テレビのまねっこをしています。



 幼稚園の流れ星の部屋に本物の冷蔵庫やガスレンジ、炊飯器や食器を準備して、家庭的な雰囲気のままごとの部屋があります。

そこには赤ちゃんを育てる遊びができるように、二人の赤ちゃん人形を子どもたちの仲間として置いてあります。

子どもたちが抱っこしたときにお母さんになれる縮尺で4か月から6か月ぐらいの赤ちゃんが人形は寝たり、お座りしたり

子どもたちが一番お世話遊びができる大きさです。しかし、そこでの子どもたちの遊びを見ていると赤ちゃんをあやしている姿を

みたりすることはほとんどありません。




 以前聞いた話ですが、20年前、4歳、5歳、6歳の子どもたちが、赤ちゃんを育てる遊びをすでにしていなかったということです。

私が3歳児を担当していたころは、女の子は背中に赤ちゃん人形をくくって、忙しい忙しいと言いながらおむつを替えたり、ミルクを飲ませたり

お母さんになって、赤ちゃんをお世話するままごと遊びをしていました。



 そういえば、先日こんなことがありました。3歳のお部屋に病院ごっこの環境が作られ、4,5人の子ども達が点滴や聴診器を持って遊んでいました。

女の子が赤ちゃんに注射をするために、ベットで寝ている赤ちゃん人形のおなかを足で踏んでいました。

注射が終わると、男の子が赤ちゃんの髪の毛をひっぱってベットから取り上げる(抱き上げる?)姿を見て、赤ちゃん人形がモノになっているように感じ

寂しい気持ちになりました。

ごっこ遊びの中に、赤ちゃんを寝かすために歌を歌ったり、遊んであげたり、やさしくしてあげる姿が失われてしまったように感じました。




 子どもは「遊んで育つ」と思います。遊びは様々な面で子どもを成長させます。探究心、実験的に活動する力、創造力、空想力などを

育ててくれるのです。 どんな遊びの文化を子ども達に与えるかは大人の責任だと思います。



 学童保育を担当されている方と話す機会がありました。その方がいまの子どもは遊ぶ場所を提供し、遊具を買いそろえてあげ、仲間を集めてあげても

遊ぶことができなくなってきたと言われました。

子どもが自由気ままに遊んでくれたらよいのに、そうならないので、大人が手を貸して、遊ばせなければ遊べなくなっているのです。



 昔の親は「遊んでばかりいないで」と言っていました。だけど、子ども達は遊んでいました。今は子どもに手をかけ、目をかけ

子どもを見張っているようになっています。子どもは自分でやってみて限界という壁にぶつかり、遊びながら自分の力を知っていきます。

遊びの中で自分の力を知り、自分で目標を立て、努力することを体験するのです。




 子どもの遊びを見ていると、なかなか思い通りにならないことをしています。園庭で木登りをしている子ども達を見ていたときのことです。

男の子が友だちをまねて桜の木に登っていきましたが下を見た時、「これ以上は登れない!」と怖くなったようです。でも、友だちはもっと高く

登っているのを見て、「明日はもう少し上まで登ろう。」そう思いながら下りていたのか、翌日には友だちの高さまで一生懸命登っていました。

子ども達は遊びの中で、絶えず実験を繰り返していることを感じます。昨日はできなかったけど、今日はできるかもと自分の目標に向かって

努力を繰り返してします。



 竹馬でも「僕もSちゃんみたいに歩きたい。」と思い、竹馬に足を乗せ立ち上がります。しかし、足を前に出すとバランスが崩れて転んでしまいました。

なんとか立ち上がりまた足を一歩だそうと壁をけりますが、またひっくりかえってしまいました。こんな実験を繰り返しながら、いつの間にか

コツを自分でつかんで歩き出しています。

ところが雨の翌日に竹馬に乗ると前のように歩けなくなり、また何回も自分から挑戦し乾いた土と湿り気のある土の乗り方のコツを体得しているのです。

この時期によく遊んだ子は将来、自分の可能性を広げ、やりたいことを見つけ目標に向かって誰かに言われなくっても努力できると思います。



 昭和から平成への時代の変化と共に、赤ちゃんの育ちに関する研究も大きく変容を遂げました。

人の赤ちゃんは生まれてすぐに一人で生きていくことはできません。

人間ほど大人の持っている能力と生まれたての赤ちゃんの能力の差がある生物は無いと思います。

力の無い赤ちゃんを教育の力で立派な大人に育てていくという作業が重要視されていますが、人間は生まれながらにして、自分なりに課題を

見つけてチャレンジしていく能力を持っていることが研究で分かってきました。

興味をもってチャレンジしていくのに一番適した時期が幼稚園の時期なのです。この時期、自分の力でいつの間にか、いろいろなことができるように

なって欲しいと思います。 教えられ練習して獲得するのではなく、ひとり一人の育ちに合わせて手間暇をかけていきたいと私は願っています。




 人間の基礎となる「土台づくり」は目に見えないから不安の多いものです。あせりもします。だからこそ、子育ては一人では難しいのです。

家庭と友だちと幼稚園と教会と地域社会がみんなで支えあう、そんなつながりの中で子どもの土台が確実に築かれてゆくのです。

命は尊くかけがえのないもの、そして、私たち一人ひとりは神様に愛されていることを、この幼稚園で過ごした子ども達は知っています。

105年の馬場幼稚園の歴史と日々の歩みにそそがれた、神様の限りない愛を賛美し、子どもの育ちを祈っていきたいと思っています。






   私は植え、アポロは水を
いだ

   しかし、成長させてくださったのは神です。   

                       コリントの信徒への手紙 3章6節

   

                                                                  2015・2  近藤瑠美子