2015年が開幕しました。
一夜にして銀世界に見舞われた元旦の朝は、近所の人が総出で雪すかしをし、大雪注意報に不安な時を過ごしました。
幸い寒波も長く続くことがなくて、ひと安心のお正月となりました。


 お正月の番組を見ていると、3月開通の北陸新幹線の話題が多く、期待が膨らんできます。関東に住んでいる娘たちも、
新幹線の開通に合わせて帰省するとの連絡があり、例年に比べると静かなお正月となりました。しかし、1歳5ヶ月の孫は目が覚めていればじっとすることなく、エネルギーが有り余っているかのように動き回り、静かにしていると思ったら物を散乱させ、好奇心と失敗を恐れない姿に、平穏な気分はいっぺんに吹っ飛んでしまいました。



 ある本を読んでいたら次のようなことが書いてありました。


 乳幼児期は建物で言うと基礎工事のときであり、小学校、中学校、高等学校、大学などというのは、造っていく建物の部分です。つまり、小学校や中学校は建物の柱や床かもしれないし、高校は外装工事や屋根、大学は内装工事やカーペットや家具かもしれない。



 そういう風に考えると、あとからやるものほど、やり直しが利くということです。カーペットだったら敷き替えることができ、家具も取替えることができます。しっかりした建物というのは、確かな基礎工事がされていたかで決まると思いますが、人の目に付くのは後からやったところで、基礎工事というのは建物が建ったときには、見えなくなっています。建物なら基礎工事をしくじっても、壊して更地にしてもう一度立て直すこともできますが、人間ではそういうわけにはいきません。人格を作る基礎工事、つまり乳幼児期の教育をしくじって、大人になって問題が生じたときに「幼稚園時代をやり直そう。」ということはまず無理だと思います。そういう意味で乳幼児期の子育ては重要であり、責任のある仕事です。


 しかし、私たちはそんな自覚が無く、「学校のような高度のことをやっているわけじゃないから、まあ、怪我や、病気をしないで済めばそれで言い。」と思って過ごしてしまうことがあります。 一方、子どもも幼稚園時代に先生にどのように育てられたか、思い出すことはほとんどありません。しかし、成長すると「中学校のOO先生は優しかった。」 「高校のOO先生は尊敬できる。」というように、固有名詞として思い出に残っています。私は固有名詞として、子ども達の思い出に残らなくても、人格を作る大切な幼児教育に携わっていることは非常に意味があると、誇りと勇気をもって仕事をしています。

 最近は人目に付きやすいものばかりが評価されますが、私たちの行っている幼児教育は子どもの要求や期待にできるだけ十分に応えてあげることが大事だと思っています。要求に応えてあげながら「いつできるかな。いつからできるかな。」と付き合っていくことです。



 何気なく見ていたデレビ番組で考え込んでしまうことがありました。

 その内容は途中から見たので定かではありませんが、関係にひずみのある父子がテレビの前で久しぶりに対面し、息子が父親に本音で話すというような番組でした。父親は有名人で、外での評判はとても良かったようですが、息子にとっては怖いだけの存在だったようです。小さいころから父の期待に応えられず、殴られ続け、怖くってまともに顔を見ることができなかったそうです。一度だけ父親が自分を認めてくれることがありました。それは、歌うことの好きな息子がカラオケの全国大会に出場するときに、「頑張れよ」と言ってくれたことでした。成人した今も、父の言葉が息子の心の支えとなって、生活の安定はないが歌うことに挑戦し続けていると言う内容でした。
 画面では大きく表情を変えることも無く、じっと話を聞いていた父親の胸のうちを思うといたたまれない思いになりました。息子は長い間、親の期待に応えられないために、自信が無い中でも、父親の愛情を求めていたことがひしひしと伝わり、哀れさすら感じました。


 子育ての失敗と言うのは、子どもの要求をうっかり見逃したり、無視したりすることです。そのくせこちらの要求や期待ばかりを押し付け、すぐに成果があるように強制的な伝え方をしてしまうことです。早くいい結果をだそうとしたり、あるいは大人のほうが楽をしようとしたりすると、それが子どもを追い込むことになると思います。
 
私たち大人は今の時代と次の時代を生きる子ども達が、よりよく生きることができるように、子ども達を十分愛することが大切だと思います。人間は愛されることから、生きる喜びを感じ始めるからです。



 昨年暮れに北陸学院大教授を招いて園内研修を行いました。今、私たちが変えようとして変わってきていることを、第三者として評価して欲しいとの園長の思いで、仕事納めの26日に行いました。

そのときに「子どもを受け止める」と言うことが話題になりました。障碍児教育の専門家でもある先生は「受け止めるって身体を張ってぶっ飛ばされる覚悟でするもんで、受け止める側が満身創痍、受け止めている自分に酔ってなんかいられない。学生や保育者の「受け止めている」つもりは自分が気持ちよくなっているだけじゃないですか?」と、強い言葉を突きつけられました。

 そして、児童文学者の小川未明の「月とあざらし」 (1926年)について書いているカウンセラーの文章を送ってくれました



銀色に凍った北の海で一匹のあざらしが、懸命に我が子を探していました。あざらしに最初に子どものいくえを尋ねられた風は
「子どもは人間に捕まってしまっただろうから、あきらめろ」といいました。でもあざらしはあきらめることはできません。
繰り返し、我が子のことを考え続けます。悲嘆に苦しみながら膨大な時間を氷山の上にうずくまって過ごします。


 月は独りぼっちの痛みに耐えるあざらしに寄り添います。「さびしいか?」「さびしくて、しかたない!」「さびしいか?」
「さびしい!まだ私の子どもは分からない」必死に子どもをもとめ、さびしさを訴えつづけるあざらしの心の叫びを、月は静かに
受け止めます。月は十分承知しているのです。子どもは見つからないこと、親の元に帰ってこないことを。月にできることは
ただひたすら心をこめてあざらしのさびしさ、悲しみを受けとめ分かち合うことだけでした。


 月は南の野原で拾ってきた太鼓をあざらしに渡しました。それからは、あざらしの打つ太鼓の響きが、海の波間からずっと聞こえてくるのです。あざらしは黙々と太鼓を打つことで子どもを失ったことを受け入れ、絶望を超えていくのです。氷山の氷が解けていくように、あざらしの凍てついた悲しみの心が僅かずつ、解けていくのです。

 悲しみや苦しみをなくすのではなく、悲しみや苦しみを抱きしめたまま、その人救うのです。月は太陽の光の届かない暗い夜の世界にその光を反射する鏡になって光を送り届けます。それがカウンセラーの仕事のようです。



 なぜ、あざらしは子どもを亡くしたのかを知りたくて、この物語を読んでみました。そして、この話には書かれた時代背景があることを知りました。その時代は新生児死亡率が驚くほど高く、母親の悲しみを北の海のあざらしとして登場させているように思いました。あざらしは月からもらった太鼓を叩き、慰めを見出している姿は祈りだと思います。あざらしは太鼓のことを思い出すたびに、亡くした子どものことを思い出し、泣いてばかりいられない、亡くした子に喜んでもらうためにも元気に生きようとするのです。やりきれない悲しみを背負い、それでも懸命に生き、明日につながる希望を見出して生きるあざらしの姿は、その時代の母親の姿だったようです。

 あざらしの姿に、私も大正生まれの親の姿を思い出しました。悲しみや苦しみを共に抱きしめてくれた親と重なり胸があつくなりました。

 幼児教育界は北の海のように、大人たちの行う制度改革の嵐の中で大荒れですが、子どもたちが神様の愛に包まれ幸せな幼稚園生活ができるように祈っていきたいとおもいます。そして、春には卒園、進級とそれぞれの喜びの時を迎えることができるようにと願っています。



                                               2015・1・10      近藤 瑠美子