新緑の5月となりました。暦の上では「みどりの日」をもって春は終わり、「こどもの日」から夏が始まります。

伸びざかりの命を祝うこどもの日、タケノコがぐんぐん若竹に育ち、タケノコに限らず若い緑には新たな息吹を感ずる時でもあります。


 ゴールデンウィークを家族の方々と楽しく過ごされたことと思います。私も連休は溜まりに溜まった仕事と家事を消化しながら

少しだけリフレッシュの時間を過ごそうと考えていましたが、ぐうだらしている間に過ぎてしまったように感じます。

園長の仕事はいろいろありますが、経験を重ねてもなかなか上達しないため、苦手と感ずることがいくつかあります。

そのひとつが、野の花の原稿を書くことです。いつも頭の片隅にありますが、ぎりぎりまで書くことがまとまらず、毎回、締め切り近くになると焦り

来月こそは余裕を持って書こうと思うのです。そういうわけで、連休は重荷から開放されずに過ごしてしまいました。




この連休に久しぶりにゆっくり新聞を読みました。 その中で次の二つの記事が気になりました。

 『こどもの日の第1回を祝ったのは1949(昭和24)年だった。全国で270万人が産声をあげた年で
  くしくもベビーブームの頂点にあたる年、戦争に敗れたあと、復興に立ち上がった時であった。』


 こどもの日がこんな時代背景を持っていることを、改めて知りました。

 少子化に歯止めが利かない昨今、子どもはますます忙しくなって、遊びから遠のいているように思います。子どもの遊びに欠かせない

サンマ(時間、空間、仲間)がなくなっているからです。子どもにとって遊びほど大切なものはありません。子どもにとっての遊びは学びであり

集中没頭したり、新たな挑戦意欲を持ったり、成功感をもったりします。そして、充実感、成功感は生きる力を育みます。

 しかし、子どもたちの遊びが変化しているのです。幼い時期であればあるほど、どのような技術が早くできたか、あるいは何を学んだかよりは

どのような人と出会い、どのようなかかわりを持ったかを大切にしなければいけないと思います。





 そんなことを考えているときに次の記事を読みショックを受けました。

 『旅行会社の男性社員が、高校の遠足で使う予定だった大型バスの手配ミスを隠すため、生徒を装い、自殺を示唆し
  遠足の中止を求める手紙を書き、学校に届けていたことが分かった。 高校によると、遠足前日、この社員から学校玄関付近に
  落ちていたとして手紙が届いた。「遠足が死ぬほどつらい。消えたい。中止してほしい」などと記されていた。
  このため学校側が全校生徒に意思を確認、この結果、問題なしと判断し遠足を決行した。 しかし遠足当日になっても大型バス11台が来ず
  手配ミスが判明、遠足を中止した。バスの手配ミスが発覚した。』


 

    この記事にいろいろなコメントが寄せられていました。

ゆとりっていうか。この世代って「つもり」世代じゃない?
ありもしない根拠の無い自信だけ持ってて
実際には、ろくなことができなくて、
でもって、できないことは他人のせい、社会のせいで
自分は一切責任をとろうとしない、反省もしない、
平気でその場しのぎのウソをつく。  
このタイプがものすごく多い。
その典型例が今回の事件なんだと思う。     30代女性


自分の経歴に汚点がつくのを異常に恐れる奴とちがうか
急いでバス手配してもそれでは忘れてた自分の汚点になる。
自殺騒動で延期なら自分はむしろ被害者で済む。
実際そういう奴いた。
世代的には今20代後半だけど。        30代男性



素直にミスを認めていればその場はきつく怒られるかもしれないが
やりようによっては全体でカバー出来る可能性があるのに
なぜこういう方法を選んでしまったのか     50代男性


この記事を読みながら、この青年はどんな幼児期を過ごしたのだろうか?どんな友達と出会ってきたのだろうかと考えさせられました。

その場でミスを上司に伝え、バスの手配をするにはいろいろな人たちとコミュニケーションが必要で、時間がかかり、エネルギーを必要としますが

周りの力でミスを解決することができたと思います。しかし、弱みを出せず、助けを求められず、自分ひとりでとんでもないことを考え

短絡的に行動してしまい、結果的に多くの人たちに迷惑をかける結果を作ってしまいました。

この青年の育ちに大切なものが欠落していたように思い、教育現場に身を置くものとしては心が痛む思いです。



 よくよく考えると「子どもは親を選べないし」初めての子どもを育てるときの親は「子育てにはまったくの素人」なのですから

いろいろ問題や不安が起きてくるのは当たり前のようにも感じます。


 「がんばっているのに、子育てがうまくいかない」

「私なんかが母親でいいのかしら?ほかの人が育てればもっとうまく育つのでは?」


 そんな風に自信をなくしているお母さんに出会うことがあります。決して、珍しいことでも特別なことでもありません。

お母さんになって何年たったとしても、母親としての自信が持てるわけではありません。

子どもが中学生になれば「子育てのベテラン」になれるかというとそんなことはありません。子どもが思春期になれば初めて思春期の子の親になるからです。

子どもが2人、3人、4人と経験していくとベテランのように思われますが、3人目の母、4人目の母は初めてという点では初体験となると思います。



私も3人の子育てを振り返ると、子育ての悩みは尽きることなく、うろたえ、とまどい失敗の連続だったように感じます。

そして、周りの人に助けられ、支えられてこんにちがあるように思います。いつのころからか、「完璧にできない母親でいよう」と思うようになり、

子どもにも「私の子どもだからこのままで」と過度の期待をしなくなったように思います。



 お母さんのなかには、いわゆる英才教育型の人もいれば、「自由にのびのびと」と考えている人もいます。

あるいは「みんなと仲良く、友達がたくさんいる子」だとか、「頭がよくて、運動神経バツグン」だとか夢がいっぱいあります。

しかし、あまりそんなことを考えていると、日々の子育てが苦しくなってしまいます。


 小学生に『親に願うこと』というアンケートをしたところ、1位が「学校の成績で評価しないで」、2位が「自分の話を聞いて」だったようです。

成績で評価するのは学校であって、親ではありません。家庭での評価は「家の手伝いをしなさい」とか「だらしない」とか

「やさしくていい子」 「元気が取り柄」でいいと思います。親はともすると、「自転車に乗れたら」「お稽古で○をもらったら」というような条件づけをつけ

できたことを評価することが多いと思います。




 私が子どもの育ちで大切にしたいことは、『子どもたちはいつの間にか育つ』ということです。「楽しく遊んでいるうちにいつの間にか力がつく」

「夢中になって遊んでいるうちにいつの間にか力が引き出される」、幼稚園がそんな場所であってほしいと思います。

語彙数が増え、いつの間にか話し上手になっているたんぽぽ組さん、所持品を散乱させて遊んでいたばら組さんが、いつの間にかロッカーに

片づけをしているなど、幼稚園の中で『いつの間にか』を実感させられます。そのために子どものありのままを受け入れる温かさ、課題を見据えつつも、

こだわりすぎず『いつの間にか』と、ゆったりかまえて待つことを大切にしています。



 子どもたちは幼稚園でひたすら遊びます。遊びながら、悲しい思いや悔しい思い、悩みや葛藤にも出会うと思います。

そんな時、友達の存在や大人の温かなまなざしが、子どもの気持ちを前向きな気持ちにしていくと思います。


 子育ては次の時代を担う一人の人間の、人生の土台を固めていく大切な仕事です。人間の基礎をつくる、やり直しのきかない仕事です。

幼な子を幸せにすることを使命に誇りをもって共に歩みたいと思います。     



                                             2014年5月6日   近藤瑠美子









TOP→ 

メール はこちらから→
園長のつぶやきブログ版 はこちらから→