二月四日は立春、暦の上では春の始まりだそうですが、寒さはまだまだ続きそうです。
 
各クラスの生活も一月行く、二月逃げる、三月去ると言われるように駆け足で過ぎ

子どもたちを見ていると成長と共に色々なことを感じる時でもあります。




以前、懇談会でお話したことがありますが、一月に年長組の子どもたちと冬のお泊まり保育に出かけた時のことをお話します。
 
この一年間、年長組の子どもたちは「森の幼稚園」で色々な遊びを体験し、自然の中でのびのびと自己発揮すると

私は自信を持っていましたから、少年自然の家の先生方に「今年の子どもは自然体験豊かですから、思いっきり遊ぶと思います。」と

伝えました。


例年のように子どもたちと崖滑りをはじめると、子ども達はほんの数回滑ってやめてしまし、雪の上で男の子、女の子が

別々にかたまって、時間を持て余すようにお話を始めました。


「吹雪いているわけでもないのに、なぜ?」と私はその姿にショックを受けました。

そこで、自然の家に移動し「一休みしたい人は少し中で休んでもいいよ」と話すと、ほとんどの子どもが中に入ろうとしたので

またまた大ショックでした。


帰ってからも「なぜ?」「どうして?」の問いの答えが見つからず、「指導計画がまずかったのか?」

「子どもにとって冬のお泊まり保育の意味はなんだったんだろうか?」と色々考え悶々としてしまいました。




保育に失敗とか成功とかはありませんが、私たちはついつい大人の側の基準、つまり、指導計画に子どもが乗ったから

乗らなかったからという基準に当てはめて成功、不成功と考えがちです。

しかし、保育の本質は保育者の思いと子どもの思いのずれをいかに埋めていくのかということであり、それが保育の難しさであり

面白さでもあることに改めて気づかされました。





休日に原稿書きができず家でモヤモヤしていましたが、ティータイムで切り替えようとしていたら、赤ん坊に離乳食をさせている母親と

赤ん坊のやりとりが目に入りました。始めたばかりの離乳食を赤ん坊に食べさすために母親はあの手この手を使っていますが

赤ん坊の方は瞬間、瞬間になにかに夢中になっていますから、中々食べさせることができません。

しかし、「急がず」「イライラ」せず、「赤ん坊はそういうもんだ」と受け止めているのを見ながら、私たちはいつの間にか

「片付けを早く済ませたら食事が早く食べられるのに。」「食べることに集中したら、次に遊ぶ時間が長くなるのに。」と

「こうあるべきだ」という基準で子どもを見るようになってしまっているなぁと思いました。




私たち保育者も経験を重ねていくと、知らぬ間に「こうあるべき」という基準で子どもを見てしまうことに陥ることがあります。

「こうあるべき」という基準をいったん封印して、子どもをゆっくり眺めるゆとりを持つ必要性をヒシヒシと感じます。


今、子どもたちは塾、習い事、スポーツクラブで必死に頑張っています。子どもたちはよその人より良い結果を出した時には

指導者が褒めてくれ、よその人より良い成績を出した時、親に褒めてもらえる事を知っているからです。


しかし、子どもたちが大人の期待に応えて、必死に頑張って手に入れるものが自信ではなく、優越感であることが多いのでは

ないかと思います。そのため、成績が下がったり、試験に落ちたり、大会でミスしたり、コンクールに入賞できなかったことが

劣等感になってしまったり、自分より劣った人を作り出して、優越感を取り戻そうとする、いわゆる弱い者いじめの原因ともなっています。




保育も昔とは大きく変わり「知識」を教えたり、子どもを指導して学習を身につけさせる教育から、子どもが自分でリラックスできる

空間の中で、子ども自身が自分に気付く仕掛けをしていくところが幼稚園となって来ました。


私は子どもと話す、話し合うことが一番大切だと思います。子どもが話してくれると目の前が開けて来るのを感ずることがあります。

保育者生活の中で私が学んだことは、子どもたちは話を聞いてもらいたい、自分の行動を認め理解してほしいと求め

自分をかわいがろうとする大人を待っているということです。


問題にぶつかり、どうしていいのか分からないとき、私は子どもの心を解きほぐし、話し合うことができるようになりたいと思います。


保育をしていて思うのは保育者の思いと、子どもの思いのずれを埋めていくことからすればいいと思います。

子どもはイライラしている保育者より、ふんわりと迎えてくれる保育者の方が大好きです。

管理されている子どもは管理がなくなると、自分ではどうしていいのか分からなくなります。

そして、「あれは駄目、これは駄目」と年中禁止言葉を連発している親より、「やいたいことやりなさい」と上手に放っておいて

もらった子どもの方が、逞しく自分の考えで遊びを進めていくようになるからです。





 
先日、私の子どもが福岡で通っていた幼稚園の園長先生が

午年にちなんで作られたハガキを装丁して送ってくださいました。

園長先生は画家で大学では保育を志す学生に

美術を教えておられました。

私も保護者会で先生にいろいろ教えていただきました。
 
先生は子どもが卒園する前に引退され、もう90歳を

超えておられますが、卒園して30年数年たった今も

我が家の三姉妹を覚えて、時々、お便りを下さり

先生の作品を送ってくださいます。


我が子のことを覚え、成長していく子らにアドバイスを

下さる先生のお人柄に触れながら、私も園長先生に

近づくことができるように保護者との交わりを大切に

したいと願ってきました。

まだまだ時間がかかりますが、努力は続けようと思います。















そんな思いもあり、どんなに忙しくても時間の許す限り、保護者と交わりの時間として園長懇談をしてきました。

今年の希望者は30名と少々さみしく思いますが、
子育てはもちろん、趣味やファッション、社会復帰など

さまざまなお話ができたらいいなぁと思います。

30年支えられた私が、30年とはいかないまでも、子ども達の成長の喜びを語り合える場所になれたらと思っています。



子どもは成長とともに親のいうことをなかなか聞かなくなりますが、そんな時でも、親のしていることはよく見ていて

よく真似ているように思います。だから、できるだけ口でやる教育はさけて、心やしぐさ、物腰、行動で教えてみてはいかがでしょうか。

子どもとの距離が縮まり、子どもの心の内にある思いを感ずることができるかもしれません。
 
私も自分を振り返ってみると、自分でできない分だけ口うるさくなっていたように反省し、今はしてほしいと願うことは

私自身が行うことが大切と思い、日々努力をしようと思っています。






聖書に次のような言葉があります。
 
  『 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい 』 
 
                   ローマの信徒への手紙12.15
 



私たちは喜んでいる人とともに喜ぼうと思っても嫉妬心を持ったり、悲しんでいる人を避けてしまうことがあります。

しかし、私たちは相手の思いに近づくことができるのです。それが『思いやり』であり『共感』であると思います。


誰かの喜びや悲しみをみんなが一緒になって喜んだり、悲しんだりできるお友だちがいることを知り、その幸せを神様に感謝し

卒園、進級までの時を、子どもたちとゆっくりと過ごしたいと思います。


 
                                                   2014年2月14日 近藤瑠美子




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