青葉、若葉の美しいさわやかな季節となりました。

ソメイヨシノが散って、園庭の入り口にひっそり咲いていた「兼六園菊桜」もあっという間に散ってしまいました。

「菊桜」は花びらがおおよそ70枚ぐらいになるものを呼んでいますが、「兼六園菊桜」は花びらが250枚くらいあり、年とともに多くなるそうです。

蕾のときはぎっちりつまっていて紅で、だんだん開花するにつれて色が薄くなっていき、花びらが散るのではなく花ごとポトリと落ちるのが特徴です。

ソメイヨシノのようにみんなの話題になることが少ないのですが、私はそんな菊桜を見上げ、ゆっくり変化するのを眺めるのが大好きです。



 朝の園庭では水溜りですずめが水浴びをし、幼稚園の田んぼ(?)にオタマジャクシやアメンボが泳ぎ、キウーイ棚には蜂が遊びに来ています。

のんびり園庭を見てまわると、わずか数分でも体が軽く清清しい気分になります。




 幼い日に『よく見る』『よく聞く』経験を豊かにさせてあげたいと私は思っています。
 
大きな音でテレビをつけっぱなし、忙しい生活の中では“よく見る目”“よく聞く耳”を育てることが難しくなっているように思います。
 
そのため、幼いころから自然に触れ合う機会を与え、自然の中でのびのびと遊ばせたいと願って、数年前より“森の幼稚園”を行ってきました。
 
森の幼稚園は大人が管理、設定した空間ではなく、自然というある意味なんでもありの(もちろん危険も含む)

野外空間の中で
過ごすことで、日に日に目覚しい発達をしている子どもの心と体に様々な刺激を与えることができると思います。

川の水面がキラキラ輝く様子、葉っぱの上に露が玉になっている様子、形を変えていく雲、動物や虫の動きや生態などなど

子どもの周りには興味を引くものがいっぱいあります。

その不思議さや面白さに驚きの心が持てるように『よく見る』『よく聞く』姿勢を養うことが大切です。


そして、野外の空間に1年を通して通うことで、日本特有の四季の移り変わりの美しさや、暑さ寒さ

雨や雪といった気象現象にも負けないたくましい心や体の発達を促し、木や草や花、キノコ、動物、昆虫など

さまざま生き物との出会いで五感を養いたいと思います。




ゆり組では角間の里(金沢大学)で、すみれ、ばら、たんぽぽ組では夕日寺で森の幼稚園を行っています。

森の幼稚園では大人の考えや考え方を強要せず、子どもが持っている感覚や感性を信じ、それを引き出すようなかかわり方をしながら

子どもの自主性を尊重し見守る保育を行おうと思っています。


子ども可愛さからついつい“転ばぬ先の杖を与えてしまいがちですが、小さな失敗を含むたくさんの経験をしておくことは

今後の成長にとっても重要なことと考えています。


先日の角間の森の幼稚園では、カナヘビを追いかけて石垣を登っている友だちを見て、自分も“のぼりたい”と石垣登りに挑戦する子がいました。

しかし、何度も、何度も、頑張っても友だちのように登ることができず、タイムアウトとなり悔しがっていました。

その横では何とか途中まで登っているのですが、手の力がもたず、お腹でずり落ちてしまい

お腹の痛みとうまくいかない心の痛みで泣き出し先生に抱きしめられていました。


帰りに「せんせい、今度もう一回やりたい!」「今度するとき洋服、ズボンの中入れとく。

そしたら、痛くならんから」と二人は再挑戦を心に決めているようでした。
 
私たち保育者が子どもに代わって解決を急ぐより、ただただ“子どもの共感者”として一緒に歩き

子ども自らがつかみ取り経験している様子をそばでにこにこしながら見守ってあげることが大切だと思っています。

そのことが、子ども達に“自分は見守られているという安心感”と”自分の力でできる“という自信や

”友だちと助け合わないとできない“という気持ちを育んでいくからです



森の幼稚園ではいろんな子どもの姿を見つけることができます。
 
2回目の田んぼで泥遊びや、オタマジャクシとりをした後、田んぼから先に上がったK君が友だちのために、
 
自分の牛乳パックの入れ物で用水の水を汲み、泥だらけの友たちの足に次々と水をかけ
 
洗ってあげている姿を目にし、胸が熱くなりました。
 
日ごろのK君はお友だちに手伝ってあげるより、自分のことで精一杯だったからです。
 
子ども達が発見を繰り返しながら、遊びをつくりだし、問題を解決していく力をつけていくことができる自然に、改めて、すばらしさを感じました。




子育てが上手にできるお母さんには共通点があります。

子どもの言うことを割りあいよく聞いてあげているということです。
 
私が言うと「子どもの言うことを何でも聞いてあげるなんてとんでない。子どもがつけあがってわがままになるのでは。」と心配される方がいると思います。

子どものいうことを聞くということは、お金をかけることでも、限りなく物を与えることでもありません。

お金や物で子どもの心を満たそうとすると、子どもの要求はエスカレートするばかりです。

そうではなく、心をかけるということです。手や心をたっぷりかけると、不思議なもので、子どもは「もう、いいよ。」と手をかけさせなくなります。

自立していき「ママしなくってもぼくひとりでできるから、大丈夫だよ。」と成長していくのです。

そうすると、お母さんの言うことも聞いてくれるようになると思います。




私は主人の仕事の関係で15年転勤族をしていましたが、住む家を決めるときにいくつかの条件がありました。
 
買い物や交通の便利さよりも、家の周りに豊かな自然があることが選択の第一条件で、横須賀では海のそば

横浜では川のそば、福岡では山のふもとに住みました。

当時私は車の運転をしていませんでしたので、子どもの通う幼稚園には、市内バスに30分乗車し、徒歩30分の道のりを毎日送り迎えしていました。
 
降園途中の川に集まるカモメにあげる給食のパンくずが、いつも娘のポケットにいっぱいだったことを懐かしく思い出します。

そして、お部屋には娘が道端で拾った石や花や草のお土産が飾られ、娘たちの幼稚園のお話と一緒に宝物のプレゼントの数々を思いだします。




ところで、お母さんは愛は母親から子どもへの一方通行と思っていませんか?
 
そうではないのです。
 
お母さんも子ども達から愛をもらい、生きる力をもらっているのです。
 
「生まれてきてくれてありがとう」と思われたことがあったと思います。
 
「先生おはよう」と元気の良い子どもの声に、私たち保育者も愛をいっぱいもらっています。



美しい自然に出かけ、そんな思いを一人ひとりの『ありがとう』ファイルに綴っていけるようにと願っています。
 


                                                              2013年5月  近藤瑠美子








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