猛暑の終わりが来るのかと不安な思いで過ごしていた今年の夏も
気がつくとゆっくり秋へ移行しているようで、吹く風に爽やかさを感ずるようになりました。

幼稚園では今週末の運動会に向けて準備をしていますが、子ども達は日に日に熱を帯びてきました。

体操服や緑白帽子がほこりまみれになっても、子ども達は『頑張ったしるし』と
自慢げにその顔を輝かせています。

 運動会の練習を頑張ることは大事ですが、私達は決して“訓練”に終わらないようにと心がけています。
練習のプロセスを大事にし、子ども達にとって楽しいもの、面白いものと感じられるようになって欲しいと願ってきました。



 運動会の種目を考えるとき、子ども達のイメージにあるものを取り入れたり、さまざまな工夫や演出をしていますが
今年は熱く燃えたロンドンオリンピックの年でしたので、種目にオリンピックをイメージしたものを取り入れました。


そして、シンプルに思われるかもしれませんが、年齢に応じた子どもの表情や一生懸命さがもっとも端的に現れる
「かけっこ」を全園児で行うことにしました。

年齢に応じた距離とコースを、みんなとても生き生きとした表情で走るのを見て、シンプル・イズ・ベストと
ご機嫌にカメラのシャッターをきってしまいました。


年長児ともなると、順位であったり、勝ち負けということが充分認識できるようになっていますから
自分が走ることはもちろんですが、仲間の応援にも熱が入ってきます。


年長児はその思いを大事にしながら、リレーに挑戦しています。

私はリレーに取り組む子ども達に次のようなことを話しています。

   『みんなの中には走るのが好きな子もいれば、走るのが苦手な子もいるけど、苦手なのがいけないのではなくって
     諦めるのがよくないと思う。

    「できない。だめ、どうせ・・・」と諦めないで一生懸命頑張ることが大事なんだよ。
     走るのが好きな子は、苦手なお友だちの分までもっと頑張ってごらん。もっと走るのが楽しくなるよ。

    でも、一番大事なことは転んでも泣かないで立ち上がり、バトンと次のお友だちに手渡すまで走り抜いていくことなんだよ。』

 と話しながら、リレーを通し自分や友だちと向き合う機会を大切にしています。


 
 年長児のリレーで大事にしていることは、走る前に作戦会議をすることです。

作戦会議で子ども達が話しあう内容は、走る順番を決めること、人数が足りないときには誰が2回走るのか
勝つためにみんなでどんなことをがんばるのか、作戦会議の報告をするのは誰かということです。

作戦会議という話し合いを通して、子ども達は自分の考えを言わないと友達に分かってもらえないこと
自分のことばかりを言っていてはお友だちに受け入れてもらえないことなど、少しずつ友だちと一緒に考え
友だちのために何をすべきかを学んでいます。



 子どもというのは「育つ」というより、「育ちあう存在」ですから、自分の子どもが育つということは
自分の子どもと一緒に育ちあってくれる子どもがたくさんいるということです。


 ところが、親は「子ども同士で育ち合う」ということを知らず、一生懸命自分の子どもだけを教育するために
水泳やサッカーをスポーツコーチから、ピアノやバイオリンを音楽の先生から、英語は外人講師からというように
大人からいろいろなことを教えてもらっていれば安心してしまうことが多くなってきています。

だから、今、幼稚園は親のニーズに応えて、漢字、計算、英語、スイミング、サッカー、リトミック、
最近では逆立ち、一輪車、日舞とどんどんカルチャースクール化しているようで、日本の子ども達はどうなるのだろうかと
不安を感じているのは私ばかりではないと思います。


 確かに知識や技術は伸びるかもしれませんが、子どもの人格の中心の部分はそんなことだけでは育たないのです。
子ども自身が自分の年齢相応の社会性を見につけていなければ、その子どもは子ども社会になじめないのです。


 以前、児童精神衛生クリニックの先生のお話を聞いたことがありますが、今、社会性が不足した子ども達が
増えてきているということです。
不登校、かん黙、家庭内暴力、拒食、非行など非社会的、あるいは反社会的な行動がでてきて、親に連れられてSOS状態で
病院にこられるとのことでした。


 この子どもたちの多くに共通していることは、なにごとも大人からしか学んでいないということです。
子どもは子どもから学ばなければならないのです。
子ども同士がお互いに教えあわなければ子どもは子ども社会に適応するための、社会的人格を身につけることができないということです。


 仲間から何かを教えられたり、仲間に教えたりする力が小学生になってすぐに身につくものではありません。
幼児期からの遊びをとおして、獲得していくものです。
子どもはいろんな人との関係のなかで育ち、友達との交流で育ちあうのです。

そのためには子どもの周りにいる大人たちが周りの人たちとどのようにコミュニケーションをとっているかが大事だと思います。





 話は変わりますが、『学問のすすめ』で有名な福沢諭吉はある文章で次のような意味のことを述べています

「“習うより慣れよ”ということわざがある。習慣の力は強大だと意味である。子どもは家にあって、毎日、父母の姿を目にして育つ。
 家庭というものは父母の心によって作られるもので、子どもの習慣はすべて父母の一心にかかっているといっていい。
 つまり、家庭は習慣の学校であり、父母は習慣の教師である。
 しかも、この習慣の学校は教育を行う学校よりもはるかに力があり、大きな効果を子どもに与える」


 「しつけ」「しつける」。「しつづける」から来た言葉で、何度も繰り返すことによって、人の心と身体にインプットされる事
つまり、習慣になることと思います。

昔から、“子どもは親の背中を見て育つ”と言われていますが、私は“子どもは親の習慣生活態度を見て育つ”と思います。


 私たちは両親から「いのちのバトン」と受け継ぎ、子ども達に伝える存在です。

私たちは子ども、次世代へ「バトン」をしっかり手渡すために何を残していくのでしょうか。

何を伝えようとしているのでしょうか。

私は静かに神様に聞くものとなりたいと思います。                  

      2012・9     近藤 瑠美子