今年の金沢は心配された寒波の襲来もなく、例年に比べ暖かなお正月を迎えることができました。

しかし、昨年3月11日の震災が癒えない日本は、いつもと違ったお正月を経験することになったと感じたのは
私だけではないように思います。


日本の国の歴史に刻まれるほど大きな被害をうけ、震災、津波だけでも大変なのに、原発事故と言う大きな災厄が引き起こされ
被害にあわせて住居や仕事を失った人々の苦悩は察するに余りあるものです。

復興には長い時間がかかるかもしれませんが、新年にあたり私たちは諦めたり、無関心にならずに
東北の復興を信じ、希望を持ち続けながら今やるべきことを実行していかなければならないと思いました。




元旦の朝、手にした朝日新聞に『震災や原発事故に対し日本はどう変わっていくのか』と問いかけ
哲学者の梅原猛氏が次のように答えている記事を見つけました。


 「過剰な消費生活を慎むべきだね。自然エネルギーを利用して『もったいない』精神で生活をする。
  それが日本の伝統にかなう。
  震災で東北の人が忍耐強く秩序を守る行動をしたことに世界中が驚いた。
  感謝して生きるそういう文明によって新しい日本をつくるべきです」


 この記事を読みながら「そうだなぁ」と思うと同時に、物の豊かさが当たり前になってしまい
物に依存していた生活のはかないことに気づかされた今、震災を直接に受けなかった私たちも
被災者のことを考え不安がってばかりいないで、次の時代を担う子どもたちに体験している思いをしっかり伝える責任を感じます。


 そして、人が生きていくためには人と人とがと協力し、助け合っていけるような絆を作っていくことが大切であると痛感しました



 人間関係は目に見えない信頼関係の上に成り立つと思いますが、子どもにとって初めての集団生活である幼稚園は
人間関係を学ぶ場でもあります。
幼稚園で人を信じ、自分を信じる力を養うことができるかどうかが、その子の将来を大きく左右すると思います。


    「まだ起こっていない未来を先取りして心配しないこと。
    いま与えられている現在を感謝して受け、充実して生きるとき、
    未来はその中から思いがけないところへとひらかれてゆく」と聞いたことがあります。


私たちはよく『子どもの目線で物をみたり、考えたりすることが大切』と言われ、自分でも「子どもの目線で」
子どもの気持ちにたって見ようと思いながら努力してきました。

しかし、振り返ってみると子どもの高さを忘れて、子どもの世界を語っていたように反省させられます。
実際に子どもと同じ高さにしゃがんで見てみると大人の足ばかりが見えたり、日ごろ気がつかない小石や
葉っぱの裏の虫に目がとまったりします。

本来、子どもはスローな存在です。道を歩いていたらすぐにたち止まり、虫に夢中になります。
大人は早く目的地に着きたいのでイライラするのですが、子どもは現在が大事なのです。
このように幼児期のその子らしい今を大事にすることが、結果的に豊かな未来を生みだしていくと思います。




子育ては専門的に勉強したから理想通りにいくかといったら、それはNOと言えます。
なぜなら、子どもは一人ひとり違った個性を持っており、育児書に書いてあるとおりにいかないからです。
しかし、現代は育児に関する情報が氾濫し、親は「脳を育てる」「天才児に育てる」など将来に備えるために
気持ちが振り回されることが少なくありません。
子育ての悩みの多くは、こうした子どもの未来への心配や、他の子と比較することから始まります。




 幼稚園では保育者と一緒に子どもたちは園生活のリズムを創り出していきます。
朝、子どもがどんな気持ちで園にきて、どんな活動をしたいのか、それがどの位続くのであろうか
みんなと一緒に活動したくなるのはいつごろで、どのような状況から入ればいいのか等、一人ひとりのことを考えながら
保育者はプランを立てますが、毎日の生活では更に柔軟に子どもの様子を読み取りながらプランを作り直していくので
小学校のようにベルがないのです。
毎日のプランをその都度立て直すのは、子ども達が自分自身の生活プランを立てる力を持つことを望んでいるからです。





 例えば、「ごっこ」遊びを見てみると、最初に箱積み木や、ままごとで居場所というか巣づくりを始めます。
安定する場所を確保するのです。安定するとその場所を基地にしながらさまざまなストーリーを作って
遊びを面白く楽しく進めていくのです。
「泥棒か来た!」「おおかみ!」と事件をいれたり「ここはスカートはいている子だけ入れるんだから」と言うような
ルールをつくったり、役割をふやしたり、お部屋から園庭へと環境を変えたりしながら遊びこんでいきます。
遊びこむというのは遊びを創造し、遊びを通して学んでいくのです。遊びを通して学ぶ学校が幼稚園なのです。




「遊んでばかりいないで勉強しなさい」とか「そんなに遊んでばかりいると幼稚園に戻していまいますよ」と
遊びを通して学ぶことを知らない、心ない大人たちは子どもを叱ったりするために、遊ばない子、遊べない子
遊びを知らない子、遊びが楽しめない子が増え、それは学ぶことができない子が増えていることになります。
子どもは自分の力で、自分の世界を創っていく、自分の興味に向かってどんどん外界を取り込み世界を広げていきます。


しかし、子どもが幼稚園に通い出し、やっと親も世界が広がったと思った矢先、
お母さんたちが人間関係の結びづらさでつまずきを起こすことがあります。
子ども同士のけんかに対しての親の対応のまずさや、気まずくなってしまった親同士の関係を修復させることの難しさなど
新しい悩みに直面するからです。




よく聞く相談にこんなことがあります。

  『遊びに来ない?と誘われていったのに子ども同士は仲良く遊ぶどころか、おもちゃのとりあい。
   せっかく遊びに行ったのにおもちゃは貸してもらえず、その上、取り合って泣かされる。
   相手の母親がもっと叱ればいいのに、甘くて、私もイライラしてしまう』



 別の人は

  『子ども同士のけんかだから、おもちゃの取り合いも仕方ないし、けんかが起きるのも仕方がないのに
   相手の母親は神経質で子どもに任せることができず、いちいち口だしをしてしまう。
   その挙句、最近私をさけているように思うのですが、私の対応が間違っているのでしょうか』




 私たちは人の目を気にしながら他の人の意見に流されたり、他の人に合わせたり、人の批判をしたり
思いの違いからトラブルとなってしまうことがあります。
なによりも心に留めなくてはならないことは、そんな中で子どもたちが育っているということです。


子どもを取り巻く親子関係は多様であり、自己中心的になっており、ますます表面的なために
子どもたちが愛情と感じにくいものになっているように感じたりします。




これから、世界はもっともっと多様化、国際化してくると思います。
そんな中で育つ子どもたちに私たちは新しいことをいつまでも教えられることができませんから
子どもたちが変わったことから逃げださず、新しいことにもあたっていけるような人を育てていかなければならないと思います。




私は保育をするときは子どもと話す、話し合うということを大切にしてきました。
子どもが話してくれるといろいろなものが開けてくると思うことがあります。
長い保育者生活をしていると、子どもたちは自分を分かろうとする大人を待って、話を聞いてもらいたい
自分の行動を認め理解してほしいと求めていると思うような場面にたくさん出会います。




子どもたちは家庭から少しずつ離れ、幼稚園で集団生活をおくることで、自分のことを自分で責任をもっておこなうことや
家庭ではできない楽しい経験の中で、『個々の良さ』が光り、響きあう中から『あこがれる』関係が生まれ
そこから『育ちあう』関係へと広がっていくと思います。


そのために、温かい関係を基礎にして子どもたちが精神的な自立を促すよう『仕掛け』をしていきたいと思います。

今年も宜しくお願い申し上げます。

                                                  2012.1.13  近藤瑠美子




TOP→