日本列島が次々と梅入りし、北陸も急に蒸し暑くなってきました。

子どもたちは外に出て、水しぶきを浴び歓声を上げています。
子どもたちの水で遊ぶ姿を見ると、季節は夏に向かって駆け足で移りかわっているように感じます。


先日、すみれ組で『お泊り保育を考える会』を行いました。
例年、子どもたちに少し落ち着きが見えるこの時期に、すみれ組では
「子どもの自立のために、今、何が必要か」を考える会をしています。
今年もいろいろな意見の中で、親としてどうあるべきかを話し合いました。
会が終わり、帰られるお母さんたちの姿を見ていると、子どもたちの自立のためにがんばろうという決意を感じました。
そしてそれと同時に、お母さんの急変に子どもたちが面食らってしまうのではないかと、心配にもなりました。



翌日、園長としては子どもたちに聞かないわけにいかず、登園した子どもに聞いてみました。

     「昨日のお母さん、いつもとちがっていた?」

A子  「きびしい!めっちゃきびしい。じぶんのことじぶんでしなさぁ〜いって」

B子   「ぶらぶらせんとはやくしなさいっていった」

C男  「おもちゃかたづけなさい。そんなんだったら、せんせいにしかられるって」

D男  「かばんかけて、コップとおべんとうだして。
     おかあさんもうしてあげんからっていうとった」


   「そうなんだ。大変だったね。それでやったの?」

D男  「うん、やったよ」

A子  「やらんと、またおこられるもん!」

         と、ニヤッとしながら語る子どもたちに、受難のときも明るく受け止めているようでひと安心しました。

 私たちはしつけをするときに、子どもの望んだことをどこまで満たしてあげればよいのかと迷うことがあります。

子どもはもう大きくなったのに「だっこ、おんぶ」をとても喜び、抱っこをしてもらいたいと思っています。
そのほかにもいろいろな要求をしますが、自分ができないからそうしてほしいのではなく
気持ちを満たしてほしいから望んでいるということがあります。


しかし、私たちはついつい『もう大きいから』と考えてしまいまいます。
望んでいることを聞いてあげたからといって、自分でできることができない子どもになってしまうことはないのです。

それより、お母さんに頼めばたいていのことは、いつでもやってくれることが
子どもの中に十分伝われば、その後はどんどん一人でやり始めると思います。



ところが、子どもがかわいいからといって、やって欲しくない事を親がしてしまったり、
この子はきっと、こういうことをやってほしいのだろうと勝手に先回りしてしまったり、
あるいは、子どもが本当に望んでいるかどうかも考えずに、手を出したり、口を出したりすることがいけないのです。
子どもというものはなんでも自分で自立して行動したがっています。
子どもたちは失敗したり、いらいらしながらも、自分ひとりで何かできたとき、はじめて充実した気持ちを味わうものです。
そして、自分に自信を持つことができるようになると思います。


そのためには、まず、親が子どもの望んでいることを本当に受け止め、それを満たしてあげ
子どもがやりたいことを助けてあげることが大切で、安心感が自立につながると思います。
反対に、親の考えを押し付けたり、過剰に干渉したり、強制したりする場合は
ますます子どもの自立の機会を奪っていくことになると思います。




先日、花の日礼拝をおこないました。
年少組は消防署、年中組は金沢駅、年長組は東警察署と白銀教会にお花を届けました。
教会では到着時間が大幅に遅れたのに、牧師先生はじめ教会員の方々が子どもの訪問を待っていてくれ
一緒に神様に感謝してお祈りをしました。


その後、バナナ号のお迎えに気づいたゆり組先生が、帰るための挨拶をし、子どもたちを誘導し始めたとき
私は野崎牧師先生が「いいのかな?」と一瞬迷っておられるように感じました。

それは昨年の子どもたちは礼拝が終わると『だっこして!』と先生の前に長い行列になり
先生に一人一人を持ち上げてもらい、いろいろなだっこをしてもらっていたからです。
25キロもある大きな子も軽々とだき上げてくれる先生のだっこに、子どもたちの歓声と笑顔がいっぱいでした。
汗だくだくになりながらも子どもたちにつきあってくれる先生に、子どもたちは『甘えることができる』ことを感じ
信頼をよせていたように思います。



子どもの気持ちを『もの』で満してあげるというやり方では、子どもは親に対して信頼を寄せにくいと思います。
親が心と身体で満たしてあげたほうが子どもの信頼が大きいと思います。


『今日はいいのかな〜』と思われた先生の思いを知りながら、帰ったことを残念に思いましたが
『甘え上手』な子どもたちですから、次の機会にきっと「だっこ!」と行列をつくるだろうと思いながら
バスに乗りました。


 バナナ号から下りると、ばら組の子どもたちが外遊びの片付けをしていました。
外遊びの着替えをしていたTちゃんが
「るみこせんせい、はじめてできたよ。 じぶんで、ぜんぶきれたんだよ」と誇らしげにはなしてくれました。
いつも着替えのときは先生に手伝ってもらっていたのですが、初めて全部自分で着ることができました。
とってもうれしかったようで、満面の笑みを浮かべてTちゃんはできたことを教えてくれました。


ばらのお部屋で遊んでいて、友達の持っていたおもちゃが顔に当たったRちゃんが
「せんせい、RのここにGちゃんのがあたって痛かった」といいました。
そのあと「R、ちゃんといえたよ。じぶんでいえたよ」と私に誇らしげにいいました。
Rちゃんは始めて自分で自分の気持ちを伝えたことがうれしくてしかたなかったようです。

 子どもは誕生して親に出会い、しっかり愛されて育ちます。
そして、自我に芽生え、やがて自分以外の他者の存在に気づき、自分と他者への愛と信頼を育てていきます。



A・Aミルンの「くまのプーさん」に『六つになった』という詩があります。
この詩は子どもの成長を表現しており、私はこれを読みながら子どもたちの心が
ゆっくり成長していることを教えられ、子どもの自立のため、大人がどうあるべきか考えさせられます。



 
  六つになった

          A・Aミルン  作

                             

     一つのときは、

    なにもかもがはじめてだった

     二つのときは、

    ぼくは まるっきりしんまいだった。

     三つのとき、

    ぼくは やっと ぼくになった。

     四つのとき、
 
    ぼくは おおきくなりたかった。

     五つのときには、

    なにからなにまでおもしろかった。

     今は六つで、

     ぼくはありったけおりこうさんです。

     だから、いつまでも六つでいたいと ぼくは思います。



皆様のお子様がいま、心の中でこのようにつぶやいているかもしれませんね。

                                                      2011・6・17       近藤瑠美子



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