新緑の5月となりました。それぞれのご家庭でゴールデンウィークを楽しく過ごされたことと思います。

私も溜まりに溜まった仕事、家事を消化しながら、少しだけリフレッシュの時間を過そうと考えていましたが
予定通りにはいきませんでした。



 お休み前、仕事を終え帰ろうと思って、ふと手を見ると手全体が黒ずんでいるのに気づきました。
以前、知り合いが同じような状況で、あわてて病院に行ったことを思いだし、「ねえ。私の手黒ずんでいるとは思わない?」とA先生に聞くと
「ほんと、先生、手洗ったらどうですか」とさらりといったので、不安な思いが一掃され「大丈夫、血の巡りが悪くなっているだけかも。」と思い直しました。

しかし、数日後、今度は仕事中に急に背中と首をひっぱる痛さに襲われました。
しばらくすると、少し楽になったのですが、再び不安がよみがえり、病院に電話すると「救急車を呼んで!」と看護士さんに言われました。
「今は大丈夫だから」と先生に送ってもらって、とりあえず病院に行きました。
行ったところは救急外来ですから、救急車で急患が次々運ばれてきている様子がカーテンで仕切られた中にいても伝わってきました。

心電図、造影剤をいれて血管を調べる検査をしていると、私の病人化もピークになりました。
でも、ジタバタするのはみっともないと、自分に言い聞かせ静かにベッドで休んでいました。

検査結果は、心臓も血管も大丈夫で、しいて言えば「ストレスかな〜」という診断でした。
とりあえず「ひと安心!」で幼稚園に帰りましたが、病人から仕事人に戻るのにしばらく時間を要しました。


でも、血管に注射針が入らず、5箇所も差し替えた痕に絆創膏が張られているのを見て
「大丈夫ですか?」と先生たちにやさしい言葉をかけてもらえ、ちょっぴりうれしい気分の園長でした。




そういういうわけで、ゴールデンウィークは静かに自宅養生となったわけです。
しかし、のんびりしていても、頭の片隅に野の花の原稿のことが気になり、締め切りが刻々と近づいているように感じて
リラックスした気分になることが出来ませんでした。
見る物、読む物にネタがないかと真剣になりますが、なかなか手っとりばやいネタに出会うことはありませんでした。



新聞を広げると「三谷幸喜のありふれた生活 初の救急車、初の書類気分」という記事が目に入りました。

 「49歳男性。犬のウンチを拾っていて、立ち上がた瞬間、木に頭をぶつけて大量出血し、
  救急車でやっと受け入れてくれた脳外科。
  7ミリの怪我を縫い合わせるのかと思ったら、ホチキスで二箇所とめた。
  生まれて初めて書類になった気分がした。世の中しらないことだらけ」

  というような内容でしたが、普段の生活を楽しく書いていることに書けない症候群の私の気分も楽しくなりました。




物事をどうせするなら嫌々でなく面白がることが出来るようになれたらいいなあと思います。
同じように、子育ても「毎日の子育てが楽しい」とまで言えなくても「子どもと一緒にいるとおもしろい」と子どもが懸命に活動する姿を
おもしろがりながら子どもを育てることは、子どもの中に生きる喜びと希望を育てることになると思います。


子どもたちと「おもしろさ」を共有する毎日を送っていれば
「子育てほど楽しいことはない」という感じになってくるはずですが、どうも現実はそんなに簡単には行かないように思います。

「子どもの気持ちが、どうしても理解できないのです」

「自分の子どもなのに、子どものこと、かわいいと思えないのです」

「しつけと虐待の違い、いったいどう考えたらいいんですか?」

「子どものわがままを、そのままにしていていいのでしょうか?」


このように、子どもが成長すると同時に、子育ての悩みを深刻化させてしまう親たちが増えているといわれています。
どうしてこれほどまでに親たちは、子どもと気持ちをあわせることが苦手になってしまったのでしょうか。
あるいは親同士、子どもの気持ちを理解しあうことができなくなってしまったのでしょうか。


こんな風に書くと、昔の親たちは子どもの気持ちを、そんなによく理解できていたのかと疑問を持つ人が出てくるかもしれませんが
確かに今とは家族や地域のしくみや環境が違い、それと同時に学校という社会が
子育てに今ほど大きな影響を与えていなかったように思います。
もちろんその際、子どものそばに寄り添う大人は、完璧な対応ができたわけではなく
子どもが成長していく過程にあわせて、子どもと対話する力を伸ばしていくことができたのではないかと思います。


「子育ては母親の仕事」という考えかたから、
「子どもの出来・不出来は母親次第」ということが親をがんじがらめにし、子どもがどう育っているということが
母親を評価するバロメーターとなってしまった社会の中で、母親が自分の力だけで子育てをしていると
子どもの「おもしろさ」に共感する余裕や子どもの育ちを親同士で喜び合う感性が育ちにくいのも事実だと思います。




 私が好きな絵本の中に、「いいこってどんなこ?」(富山房) という一冊があります。

ウサギの親子が優しく向きあった表紙絵で始まる絵本は
「いいこってどんなこ?」と、問いかける子ウサギに、母ウサギが優しく答えていく絵本です。

「ねえ おかあさん いいこって どんなこ?」

ウサギのバニーぼうやが たずねました。

「ぜったい なかないのが いいこなの?
  ぼく なかないように したほうがいい?」

お母さんは こたえました。

「ないたって いいのよ でもね バニーが ないていると
  なんだか おかあさんまで かなしくなるわ」

繰り返される子ウサギの質問を、母ウサギは優しく、ゆったりと受け止めています。

 「じゃあ おかあさんは ぼくがどんなこだったら
   いちばん うれしい?」

と子ウサギのような質問を受けたら、
私はなんと答えるだろうと考えてしまう場面がありますが、作者は母ウサギに

「バニーは バニーらしく しているのが いちばんよ
   だって おかあさん いまのバニーが だいすきなんですもの」

と語らせています。
このお話は子どものありのままを受け止め、愛し合う親子関係の心地よさを教えてくれます。

 現代のお母さんは、育児がうまくいかなくなったといわれていますが、それは人間関係が下手になったからではないかと思います。
近年、地域社会がなくなり、住民がそれぞれ孤立して生活する傾向にあります。
家庭内でも夫婦がお互いを支えあえない関係が増え、自然な人間関係が希薄になったために
アルコール依存、賭け事依存、ショッピング依存など病的な依存や依存症が増えているようです。
そういうものに依存しない人の中には子どもに依存している人がいるようです。
親だから一見したところ、子どもに寄りかかってはいないようですが、子どもの成長や発達、学力、お稽古事
スポーツなどの技能とかが、自分の思うどおりに育っていってくれるようにすることに依存して安心する親が多くなったと思います。



人間関係はおたがいが依存する関係にあり、相互協力や支えあいといってもいいと思います。
夫婦関係、幼稚園の母親との関係、近所の人との関係、職場の人たちとの関係、そういう関係のなかで
いつも自分は守られているし、自分も相手を守っているという気持ちで、知人を大切にし
そして、自分を大切にすることが大事だと思います。


幼稚園という場がお互いに支えあう親たちの出会いの場となり、子どもに「今のあなたが大好き」と
子どものありのままを受けとめることができる親育ちの場となるようにと願っています。

                                  2011年5月16日   近藤瑠美子





TOP→