秋も深まり食卓には実りがいっぱい並び、私たちを楽しませてくれています。
  しかし、異常気象で生態系が変化しいろいろなところで災害や被害がでていることに人間の責任を感ぜずにはおれません。

猛暑から解放され思いっきり秋の野山を楽しもうと思っていたら、食べ物がなく山から下りてくる熊による被害報道で
  またまた子ども達の遊び場が失われていまいました。

しかし、幼稚園では畑実行委員のお母さん達の協力で、花壇での野菜の栽培、田植え・稲刈り・脱穀、農園でのいもの苗植え・いも掘りなど
 収穫した新鮮な野菜を食べたのはもちろんですが、とりたてのとうもろこし、ひまわりの種、お米など
 日ごろなかなか口にすることのできないものを食べるという貴重な体験をすることができました。
 いままでは、収穫といっても、汗をして働くことはすべて大人の手で行われていましたから、収穫を喜ぶというより
 物をもらうという感覚だったように思います。


 せまい花壇での野菜づくりでしたが、草むしりや水やりをしながらキュウリやニンジンの成長を身近に感ずることができました。



特に、園庭でのお米作りは子ども達の生活の一部のようになっていました。
 泥んこ遊びのような感覚で土や水を入れ田んぼ作りをし、田植えをしました。
 水田にボウフラがわき、蚊の繁殖を抑えるために夕日寺公園にオタマジャクシを取りに行って水田にはなしました。
 稲穂が頭を下げだし、いつ収穫をしたらよいのかをお米作りをしているおじいちゃんに教えてもらったり
 稲刈りを実行委員のお母さん達に手伝ってもらいました。

 いろいろな人たちの助けでなんとか稲刈りをすることができました。
 収穫した稲穂を束ねて風にあてて、天日干しをしましたが、干したお米を雀が食べにくるので、鳥に食べられないように
 みんなでかかしを作って立てましたが、朝、登園してみると鳥がお米を食べ、床にお米が散乱していました。
 落ちたお米を一粒一粒大切に拾っているこどもたちの姿に収穫を心待ちしていたことがわかりました。
 脱穀も機械にかければ簡単にできるかもしれませんが、時間がかかっても子ども達に脱穀の体験をさせたいと思いました。
 牛乳パックに一本一本稲をいれて口を閉めながら引き抜いて稲からお米と取ることができました。
 モミ殻はすり鉢にいれ野球ボールを転がしてとりました。
 2時間頑張って作業をしている子ども達の集中力は驚くほどでした。




 毎日あたりまえにいただいていたご飯も、多くの人たちの労苦により備えられていることを知り感謝する体験となりました。
 私たちは収穫というと食べることばかりを考えてしまいますが、食べるまでにはいろいろなプロセスがあることを体験したことで
 収穫をみんなで喜ぶことができたように思います。
 そして、今までの収穫ってこれでよかったのか、お金を出して畝を買って収穫をする「芋ほり」を見なおす機会となりました。


 草木は、四季折々の美しい花を咲かせ、若葉、青葉、紅葉と自然の美を楽しませてくれます。
 しかし、私たちはお花の美しさ、紅葉の見事さというような表面的なものを見て楽しむことが多いように思います。


 種を蒔いてすぐに芽を出し、花を咲かせて楽しませてくれるものもあれば、花や実をつけるために何年もの時間がかかるものもあって様々です。
 しかし、いずれであっても良い花や実をつけさせるためには、まず立派な根を育てなければなりません。
 根が貧弱であればちょっとした風が吹いても、すぐに倒れてしまいます。
 特に根が弱いのに地上に出ている幹や枝が立派だったりすると大変です。
 見てくれは良いのですが地上部分の重さに耐えきれず、ちょっとしたことで枯れたり倒れたりしてしまいます。




 幼稚園のお庭の片隅のプランターにキュウイの木が植えられているのをご存知の方もおられると思います。
 昨年、子ども達と育てたいと思い、小さな枝を植えました。
 そのうちにどんどん蔓が伸び、絡み合ってこのままにしておくと処理できなくなりそうでキュウイ棚を作ることを考えました。
 お庭のどこにどれだけの高さで、強度はどのくらいが必要か、わからないことだらけでした。


 にわか勉強をして考えたのは、園庭の隅っこに1・5mの棚を立てるという案でした。
 しかし、棚の高さが低いと駐車する車にぶつかるし、駐車スペースが狭くなるのは問題ではないかということで
 違うところで考えることにしました。
 
 次に考えたのは砂場の上に棚を立てるという考えでした。
 遊びながら、キュウイの実を見ることができ、夏には日陰を作ってくれ一石二鳥ということでこの案がまとまりつつありました。
 業者に棚を見積もってもらうと工事費の高いことにまた行き詰ってしまいました。
 その上に、キュウイはまたたび科ということがわかりました。
 またたびは猫が大好物で猫を呼び寄せるというのです。
 砂場に猫が糞をしないようにあの手この手を使っているのに、わざわざ猫を呼び寄せることはできないということで
 この案もお流れとなりました。




 今年の異常な暑さにも元気なキュウイでしたが、研修で数日間幼稚園を留守にした間に枯れてしまいました。
 棚のことで悩みに悩んでいた私は残念な思いと同時に『枯れたんなら仕方ないわ』と内心ホッとする気持ちもありました。
 ところが、おどろいたことにカラカラに枯れていた蔓に、また新たに新芽が出てきたのでした。
 根がしっかり生えていたキュウイはそれから降った雨で生き返り、以前にもまして元気に蔓を伸ばしたのでした。
 私にはまた、キュウイ棚との戦いとなりましたが、子ども達が自分で収穫するのを夢みながら
 頑張るようにと後押しされたように感じました。
 そして、キュウイの生命力に子育てと通じるものがあるように感じました。


 とかく教育は子どもに対して、あまりにも多く、あまりにも早い時期に求めすぎる傾向があります。
 時ならぬ花を咲かせるのではなく、一本一本の木が、それぞれ最も自分に適した時期に花や、実をつけるように根っこを育てるのが
 私達のめざしている教育なのです。




 以前、子どもは『コンペイトウの角ができるように成長する』と聞いたことがあります。
 コンペイトウは小さなけしの実を砂糖水が入った大きな鍋の中に入れて、ゆっくりゆっくり混ぜ合わせると
 小さな角を作りながら大きくなるそうです。
 子どもも同じで誰にも得意な部分があって、幼稚園という大きな鍋の中で、たくさんの子ども達と遊ぶことによって
 この得意な部分がコンペイトウの角のように大きくなっていくと思います。



 私達大人はとかく子どもに大きな期待をかけ、それをかなえられれば喜び、期待はずれに終われば落胆したり
 子どもを責めたりしがちです。
 しかも他の子どもと比較してより早く、人より優れてと願うのですが、幼児期の子どもにとって
 より早く、より優れてということにどれだけ価値があるのでしょうか。




 たとえば、入園当初の4月生まれの子どもと3月生まれの子どもを比較してみると、約1年遅れで生まれてきた3月生まれの子どもは
 何につけてもゆっくりしているのが当然です。
 しかし、大きくなった時までそのような差があるはずがありません。
 このように幼児期の成長発達には個々の子どもで大きな違いがあり、それぞれの成長のペースがありますが
 『そのペースでいいんだよ』と認められることが子どもにとっての幸せであると思います。



 以前レストランごっこをしていた時のことです。
 Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん3人が一緒に遊んでいました。
 AちゃんとBちゃんはある程度字が書けるので、レストランのメニューを書き始めました。
 しかし、Cちゃんは字が書けません。そこでAちゃんに違う遊びをしようと伝えますが断られ、しかも字を書けないなら
 仲間に入れてやらないと言われてしまいました。

 そこでCちゃんはBちゃんに助けを求めると先生に字を教えてもらえば良いとアドバイスを受けました。
 Cちゃんは先生にメニューに書く字を書いてもらい、それを見ながら字を書くことでAちゃんBちゃんの遊びの仲間になることができました。
 この場合のCちゃんの学びは大変豊富なものです。
 字はもちろんですが、友だちの中にはAちゃんというような子どももいれば、Bちゃんという子どももいで
 そういう子どもと付き合うためには同等な知識が必要になることがある。
 こんなとき先生は力強い味方であるなど、人間関係や言葉の発達に関しても大切な体験をし、学びとったと思います。




 子ども達が幼稚園で行う遊びはこのように大変複雑で多様な学びのときなのです。
 だから、こうした体験ができる時間を大切にじっくりと歩ませることが必要なのです。
 ゆっくりと足もとを踏みしめながら歩んでいくような育ちでなければ、足腰の強い、底力のある子どもが
 育たないといっても過言でないと思います。



 子ども一人ひとりの思いを大切にしながら、子ども同士が認め合って育ち合うようにと祈りながら
 今月も子ども達と共に歩んでいきたいと思います。     

                              近藤瑠美子(2010・11.8)



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