子どもたちが昔から好きな遊びの一つに「だるまさんがころんだ」という遊びがあります。

鬼の子どもが「だるまさんころんだ」といいながら目を閉じている間に、
相手の子どもたちが駆け足で鬼に向かって型を変えながら移動しタッチして鬼が交代する遊びです。

季節も夏の鬼が下をむいている間に秋が急なスピードで近付いてきたように感じます。
「だるまさんがころんだ」で遊ぶ子ども達を見ながら、空を見上げると
大きく張り出していた入道雲にかわってうろこ雲が空を覆っていました。


10月は味覚、食欲の秋、美味しい食材がたくさん出回り、食欲も旺盛になります。
「天高く馬肥ゆる秋」は、スポーツ、読書、芸術を楽しむために最適の時です。
土日にはあちこちでのグランドで運動会が行われています。

私たちは猛暑の残る中で一足早い運動会を終えました。
例年、運動会は卯辰山運動公園で行ってきましたが、今年は熱中症に配慮し戸外では準備ができず
市内のいろいろな体育館に出かけ準備をしてきました。
使用時間が決まっている体育館では時間内に簡潔な練習をし、そのあとは出かけた先のいろんな場所で遊ぶことができました。
三小牛山では、飛び跳ねるこおろぎやバッタを追いかける子どもたちで賑わい、追いかけても追いかけても捕まらず
やっと捕まえたと思って手のひらを広げると、ピョンと逃げられがっかりしてしまうなど、さながら虫と子どもの運動会のようでした。


運動会当日は前日の気温より8度も下がる寒い日となりました。
その上、雨が降っていましたから一層寒く感じ、暑さ対策しか考えていなかったので、朝から対応に追われました。
しかし、体育館では集まった人たちの熱気で寒さを忘れ、例年とは ひとあじ違う運動会を子ども達と行うことができました。



 今、皆様から頂いた運動会の感想をもとに教師会で話し合いをしていますが、出された意見は様々です。たとえば、


・体育館でなく戸外のほうがよい。     ・小さい子がいるから体育館が良かった。

・午前中でよかった。             ・午前中ではものたりなかった。

・会場が狭い。                ・子どもの声が近くで聞けてよかった。


保護者の意見は小さな子どもを抱えている人とそうでない人、仕事をしている人とそうでない人
車を運転する人とそうでない人というように、置かれている立場で考え方がちがっています。
それぞれの立場や事情があるのですが、あちらを立てればこちらが立たずの状態です。
意見は参考にしながらもゆっくり時間をかけながら、子どもにとって最善の方法を模索していきたいと思います。


幼稚園にはいろいろな「木」があります。
春には見事な花を咲かせた桜やモクレンは、夏になると子ども達に日陰を提供してくれ
そろそろ冬の支度のために模様替えをはじめているようです。
今は金木犀が心良い香りを放ち園庭で遊ぶ子どもたちを楽しませてくれています。

木には一本一本命があり、地面から水や栄養を取りながら自ら大きくなろうとしています。
私たちは木が育つために水をあげ、肥料をあげ良い環境に整えようとしますが、
水はたっぷりが良いのか、少ないのが良いのか、日向がよいのか、日陰が良いのか、肥料はどれくらいいるのかと悩みます。
その挙句、伸びすぎたらどうしょう、伸びなかったらどうしょう。枝が多すぎる、曲がってしまったら・・・・・・。と
育てることに悩むのは子育てと似ているように思います。
子育てもほめたらいいのか、いつまでほめ続けたらいいのか。
叱るときはいつなのか、どのように叱ったらいいのかといつも悩み、子どもの姿を見て、親として至らないと落ちこみます。


「親」という字をよく見ると「木」の上に立って見ると書きます。
私は木に登ることはできませんが、アスレチックに登って子どもたちを見ていることがあります。
高いところに登ると私の視界にたくさんの子どもたちの姿が入り、遊んでいる様子がよく見えるからです。

あちこち駆けまわる行動範囲の広い遊び、じっとしている遊び、たくさんの友達と関わる遊び、泥んこ、ままごと
水路づくり、虫探し、竹馬、戦いごっこなどいろいろです。

子どもは幼稚園という社会の中で、さまざまな友だちと関わりながら、いろいろな遊びを経験して大きくなっていきます。

子どもというのは、自分の子どもだけが育つということはありえません。
人と、とくにほかの子どもと育ち合うのです。
 だから、親は、自分の子どもと一緒に育ちあってくれる子どもたちが視野に入っていないといけないと思います。
自分の子どもが育っているというのは、自分の子どもといっしょに育ち合ってくれる子どもがいるということなのです。




幼稚園に参観に来られる方の何割かは「こんな遊びをいつまでしているのですか。
字を書いたり、折り紙をしたり、勉強をしないのですか」という質問をされます。

文字や計算を幼稚園の先生から、水泳やサッカーはスポーツクラブのコーチにから
ピアノやバイオリンは音楽の先生から、英語は外国人講師からというように大人からいろんなことを教えてもらって
家庭でしつけを親がきちんとしつけていれば申し分のない子が育つと、思い違いをしている親が最近増えてきているように感じます。


確かに、知識は増え、スポーツやピアノの技術は伸びるかもしれません。
ところが子どもの人格の中心の部分はそれだけでは育たないのです。
知識や技術が豊富だとそれだけで人格者になると思ったり、子どもが勉強ができたり、
ピアノとかスポーツの能力が優れていると、「人間ができた」と思ってしまうのです。
そのため、○○式早期教育が大人気をよんでいるようです。
親として子どもの将来に期待したいのはわかるのですが、幼児期が小学校のための準備であり
小学校、中学校は上の学校に行くための準備として考え、絶えず先を急ぐ子育てをしていたら子どもたちは追い込まれ
自分を見失ってしまうことになるかもしれません。



本当に大切なのは自分の年齢相応の社会性を身につけていなければ、子ども社会になじめないのです。
子どもたちがいろんな身体的変調をうったえてクリニックに通ったり、不登校、かん黙、家庭内暴力、拒食、非行など
社会性が不足した子ども達が増え続けています。
その子どもたちに共通していることは、子どもが子どもから学ばなければならないのに大人からしか学んでいないということです。
子ども同士が教え合わなければ、子どもは子ども社会に適応するための社会的人格を身につけることができないのです。



子どもは毎日の生活や遊びの中で、楽しことやうれしいことの他に、悩み考えることにたくさん出会っていると思います。
そのような中で、自分を見つめ、自分を受け止め、周りの存在に気づき自分の進むべき道を見つけていくのです。
子どもはそうして確実に自立の道をあゆみだしていくと思います。


 親はどうしてもわが子のみに目がいってしまいます。
でも運動会のようにたくさんの子ども達が集まっているときは木に立って見る「親」になる良い機会だと思います。
運動会実行委員のお母さんが子ども達のために働かれた姿が、『親』の目線なのです。
わが子が日ごろ共に遊び生活している友だちと一緒に過ごしている様子をみるチャンスだからです。 

子ども達は友だちと一緒だから、かけっこも、ダンスもゲームも楽しく面白い遊びなのです。
そして、友だちと一緒だから、リレーも組体操も、サーキットも頑張れたのだと思います。

ゆり組のリレーでバトンを落とした友だちを責めたりすることがありますが、
友達と一緒に考えるうちに、自分中心で物事を考え、自分さえよければ良かった考えが
友達とうれしい楽しい気持ちを共感し、困ったことや悲しいことを分かち合うようになります。


親として子どもの遊びを見て応援し、楽しさや頑張りや、悔しさを共感し合うことが大切だと思います。
子どもの育ちの基本にいろいろな『き』を見つけることができます。

『喜』び 『嬉』しい 『気』持ちがよいなど、そして、親が子どもに共感することで、『希』望を語りあうことになると思います。
一生懸命に子育てをしているのに、何一つ思い通りにならないもどかしさを感ずるときがあると思いますが
そんなときすべてを神様に委ねて子どものために『祈』る親でありたいと思います。



 これからも子どもの育ちの基本の「き」を皆様とでいっしょに捜し求めながら歩む幼稚園でありたいと願っています。

                       
                                                                  近藤瑠美子(2010・10・7)



TOP→