早いもので2010年も半分が過ぎ、折りかえり地点となりました。

4月に新入、進級と新しい環境に緊張していた子どもたちも、徐々に幼稚園生活になれ、一人一人の居場所をみつけて
その子らしさを表現するようになりました。
今月はプール保育、お泊り保育、夏祭り、同窓会等、夏季に向けての行事が計画され、夏季休暇に入ろうとしています。



いま、卒園生に同窓会の案内を発送していますが、名簿を整理しながら
昨年の今頃も名簿整理にてんてこ舞いだったことを思いだします。
昨年は、馬場幼稚園創立100周年記念の年でしたから、いろいろ記念事業をおこないました。
その中の一つが記念誌作りでした。
記念誌にまとめるために現存する資料の整理から始めようと思いましたが、広げてみると100年という重みとは裏腹に
その時代を語る資料はほとんど残っていませんでした。
いろいろなところ出かけ資料を集める作業は、挫折と自己嫌悪との戦いでもありました。
しかし、長く暗いトンネルの出口を求めていたあのころの苦しかったことは、今は一瞬の出来事のように感じ
辛いことは風化し喜びと感謝となっています。

記念の諸行事が終わった時にチャプレンの野崎先生より
「100周年の事業がイベントとして通過するか否か、このあとが大事なんだよ。」といわれた言葉が
ずっしりと心に残っていましたから、今年度はその答えを模索しようと思いました。



その一つは馬場幼稚園が大切にしてきた保育を伝えるということでした。
昔は参観に来られた保護者一人ひとりに熱っぽく保育を語り、質問にも丁寧に答えていましたから
子どもたちが入園するときには保育理解はもちろんですが、保護者とふれあいや出会いがありました。

しかし、今は未満児の集いで幼稚園に来られた方々に説明会と称して一斉に幼稚園の沿革を話していましたから、
「幼稚園で育つその子らしさ」や「親の育ち」などについて一緒に考えることが減ってしまったように感じます。



そして、保護者が求めるものと幼稚園が目指すものとにずれが生じているようにも感じます。
長い間、園が大切にしてきた「子どもにとって」「手間暇をかけて」という視点が少しずつ風化し、完全給食、長時間保育
スクールバスの戸口までお迎え、夏休みなしなどといった大人に便利なサービスをしてくれることが
「よい幼稚園」という評価になっているように感じるからです。

このままでは子どもにしわ寄せがくると危機を感じ、今年度は馬場幼稚園の目指す保育を積極的に保護者会、参観・懇談はもちろん
土曜日のBABAクラブ、未満児のつどい(たんぽぽクラブ)、自由登園日の参観者等、出会う人たちに「保育を語る」ことにしました。
保護者が変わったからと責めたり、あきらめるのではなく、「あとのびする子育て」「子どもの生きる力」「子育て親育ち」等
幼児期の大切さや素晴らしさを語ることから始めようと思いました。




もう一つは先生達の取り組みです。
馬場幼稚園の先生たちは保育者としての誇りを持って仕事をしています。
自分の専門性を深めるために積極的に勉強もしています。
毎年、先生たちは自己点検、評価をおこなっていますが、その結果を見ると高い評価がでています。
しかし、その反面人間としてのゆとりや幅を広げる取り組みをしていなかったことに気づかされました。

今年の取り組みは「仕事オンリー人間」から「ゆとり人間」づくりへの挑戦でした。
具体的には「水曜日ビックデイ」宣言でした。
その日は仕事の拘束時間を短縮し、それぞれの先生の余暇時間を保証する取り組みでした。
と言っても仕事が半減するわけでもありませから、時間を短縮するためにいろいろ見直し、できるところから改善をしたことで
少しずつ先生達の仕事の区切り方、調整の仕方が上手になり時間的なゆとりが持てるようになりました。




仕事中心で今まで来た私も、切り替えていこうと思いましたが、なかなか仕事を途中で止めることができないので、
目標を決めることで調整してみようと思いました。
目標は、かねてから気になっていた発達心理学の勉強を始めることでした。


ちょうどよい講座がありましたが、仕事時間が終わってからの研究会ですから、疲れて無理なのではという不安もありました。
しかし、とりあえずスタートしないと変わらないと思いで出かけてみると集まった人の中に
私よりさらに年輩の方もおられ、その熱気に元気づけられました。


講座の中でおもしろかったのがアリエス『子どもの誕生』から現代の子どもを考えるという講義でした。

【コメニウス、ルソー、ペスタロッチ、フレーベル、デューイの尽力で近代になって強制的教育から
子どもの自発性が尊重される教育に変わった。
 しかし、現状はどうなっているのだろうか?どうしてよくならないのか?】とのすべり出しは学生時代にもどったようでした。

現場のことで追われている私にはかろうじて名前は覚えていても、その時代背景が記憶に残っていませんでした。



アリエスが論じた子ども観の変化で17世紀頃をさかいとして「子どもは小さな大人」と考えられていたのを
アリエスは人間の一生における『子ども期』の重要性を訴えました。

また、大人とは異なる特別な配慮を必要とする『子ども期』には別の方向に二つの感性が併存すると述べ
一つは子どもを愛らしいと感じかわいがり甘やかすという態度ともう一つはそうした甘やかしを厳しく退け
子どもに規律や訓練を課す必要性があると訴えるものでした。

この二つの方向に沿って学校の発達と家庭の変容があるというお話に今更ながら、なるほどとうなずいていました。





現代の教育はたしかに時代とともに革新され、さまざまな反省の上に
子ども中心に捉えた教育方法が考えられるようになってきたと思います。
しかし、時代とともに新たな課題が増えてきたといっても過言ではないと思います。


たとえば、子どもたちが仲間集団(特に異なった年齢の)で遊んだり、自然の中に過ごすためには意図的に環境を作ったり
大人を交えて自然環境に出かけなくては体験することができなくなりつつあるように思います。




すみれ組のプレーデーの折に、夕日寺県民自然公園でザリガニつりをしましたが
私たちの近くにゼッケンをつけた子どもたちとその親
たぶん引率者と思われる大人たちがザリガニを釣っていました。

どこかの幼稚園の遠足にしては人数も少なく小学生もいるので、子供会活動かなとみていました。
しかし、引率の男性達を見ていると、誰かのお父さんと言う感じではなさそうなので
好奇心旺盛な私は「何のサークルですか?」と声をかけました。
わかったことはキゴ山を中心とした民間経営の体験教室みたいでした。
日ごろは子どもだけを預かって自然体験をさせているようですが、その日は親子遠足でザリガニつりという企画だそうです。
驚いたことにこの教室の月謝は月8千円だそうです。

幼稚園や小学校の子どもたちが毎週自然体験をするために
お金を出して通う時代になったことにびっくりしてしまいました。
いよいよ子どもたちだけで過ごす時間が少なくなり、子ども同士が
「冒険やたくらみのなかで過ごす」機会が失われつつあることに危機感を覚えます。
学校から帰って、友達と一緒にいろんなことを体験しながら学んできたことが、今は意図的に教えたり
学べるような環境を意図的に作らなければならないということを感じ
改めて馬場幼稚園の森の幼稚園体験の大切さを語り続けようと思いました。




ずいぶん前になりますが(多分1993年放送)「迷える心の風景・豊かさの中で子どもを怖がる子どもたち」という
ショッキングな番組を見たことを思い出しました。
この番組では大人の中で育ったために幼稚園のころからしだいに話をしなくなった子
テレビゲームや人形遊びといったひとり遊びをつづけている子
学校の道で同じ年齢の子どもと出会うと身体がうごかなくなってしまう子の事例が紹介されました。


そうした子どもたちが心を閉ざしているのではなく、同じ年齢の子どもたちとの付き合い方がわからないのです。
共感する喜び、けんかをして譲歩したり謝ったりすることは自然に身につくことではなく学んでできることです。
しかも誘ったり誘われたりするルールなど微妙な駆け引きは遊びの中でしか学ぶことができません。


テレビを見ていて感じたのは紹介されて子どもたちは特殊な子どもではなく、現代の悩める社会の反映であり
どの家庭での中でも潜在しているかもしれなと思いました。



私たちはどのような境遇になっても、いかなる困難に直面しても、自分を理解してくれる人、共感してくれる人
支えてくれる人がいるということはとても心強いことです。

希望の萌芽は信頼のできる母親との最初の出会いと言われています。
その後幼稚園の先生やともだちとなっていきます。
そしていつの日にか自分の存在価値が本当に尊いことであり、かけがえのない命であることに気づくときに
本当に希望を持って喜んで生きることができるのではないかと思います。  


                                                     2010年7月6日      近藤瑠美子


      

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