4月に入園や進級した子どもたちも、新しい環境に慣れ、少しずつ落ち着きを取り戻して、個性を見せ始めています。

いよいよ6月になりました。
 例年なら雨が続き、気候は蒸し暑く、青々とした新緑の中で、あじさいの花が美しく咲き始めます。
 しかし、今年は低温が続いており、まだまだ肌寒さを感じますが、子どもたちには雨がたまった水溜りは格好の遊び場です。

雨の日も増えて室内の遊びが多くなり、空間が狭くなって他の子どもの遊びに気づく時となります。
 そして、遊びを通して少しずつ相手の存在に気づいてきます。

子どもたちは、2ヶ月間同じクラスにいるにもかかわらず『知らないお友達』がいることがあります。
 生活も遊びも自分のことで精一杯で、気づいていないのかもしれません。
 あるいは、5月の間はお天気の良い日が多く園庭に出ていたので、空間が広がり出会う機会が少なかったのかもしれません。


6月はいろいろな意味で『崩す』時期かもしれません。

 熱でお休みする子どもが続出するのも、この時期です。
 「がんばろう」と思って迎えた新学期ですが、それも2カ月もがんばれば、疲れてしまうものです。
 子どもたちは自然な形で「肩に力が入っている状態」を崩していきます。
 「発熱」もその一つかもしれません。

 表現においても「破壊」という形がでてきますから、幼稚園ではそんな「破壊的表現」が出来る場を用意し、

 肩の力をぬいて友達との生活をゆったりと過ごせるように心がけています。

 梅雨の代表のようなあじさいの花は、植えられた土壌で花の色が違うことを皆さんはご存知でしょうか。
 酸性の土からは青みの強い花が咲き、アルカリ性の土からは紅色の花が咲くそうです。
 幼稚園のあじさいは青い花を咲かせていますから、酸性の土のようです。

 私はあじさいの花を見ていると子育てとダブることがあります。
 幼児期の教育とは心を耕し種をまき、将来美しい花を咲かすための土壌作りです。
 土壌の良し悪しで咲く花が違ってしまうとなると、私たちは必死に土壌作りをするように
 子どもたちの人生の土台になる幼児期に何が必要なのかと絶えず問い続ける必要があります。

幼稚園に通う3歳から7歳の時期は「子ども時代全体を通じてもっとも子どもらしいとき」であり
『最上の子ども時代である』と言われています。
 園庭のあちこちでは、子どもたちが土をほじくり返し、落ち葉をかき分け、小さな昆虫や幼虫を探し出しています。
 いったい何がそんなに面白くて、あんなに一生懸命遊ぶのかと不思議に思うことがあります。


 形にこだわり、価値や意味にこだわりながら生きている大人にはとうてい理解できない世界
 それが幼児の遊びの世界、とりわけ「ごっこ遊び」の世界だといえます。

 『子どもは遊びの天才である』とよく言われます。
 確かに幼児の遊びを見ていると、
思いもしないようなもの、場所を使って遊びをつくり上げ、驚かされることが良くあります。

 しかし、子どもは遊びの天才なのだからたいしたものがなくてもと考えるのではなく
 天才だからこそ豊かな環境を与えて、その天才ぶりを発揮できるようにする必要があります。

 この豊かさとは、金銭的な価値とは関係なく遊具がいっぱいの公園より、ただの空地や狭い空間、土や泥や草が石など
 子どもにとっての豊かさとは、自分の想像力を働かせる余地が残っているもの、自分の手で作り変えることができると
いったようなことではないかと思われます。

 自分から関わっていく体験を重ねながら、試したり、工夫したりすることの出来る環境がすなわち豊かな環境であると思います。




 最近の子どもたちは『がまんができない』とよく言われます。
 欲しいと思うと待てない。ちょっと嫌なことがあるとキレたり、辛いことがあるとすぐににげる・・・など。

 私は30年以上子どもを見てきましたが、最近の子どもたちはひ弱になっているように感じます。
 「ああしたい!」「こうしたい!」という欲求が芽生えると親はうれしくなりますが、同時に根気比べが始まることを忘れないでください。
 「おもちゃかって」と駄々をこねる子に「今度だけよ」と許すと「今度だけよ」は
「次もOK」と言うことになりますからしっかり言い聞かせて待たすことが必要です。
 「お誕生日にね」とか先に希望を持たせて「待つ」経験が「待ったあとの喜び」となるように
子どもに真剣に向き合って伝える必要があります。



 フランスの思想家ルソーは、「子どもを不幸にする1番確実な方法は、いつでも何でも手に入れられるようにしてやることだ」と言っています。

 豊かな環境で何でもたやすく手に入り、いつも満足していると、あれが欲しい、これが欲しいという思いが一瞬のものになり
 次々と欲求はエスカレートしていきます。

 その上、本当に自分の欲しいものがなんなのか分からなくなってしまいます。
 幼くても時には欲求をがまんし、何が大切なのか選択できるように育てたいと思います。



子ども達がこれから歩む道は自分の思いどおりにならないことがあり、そのため葛藤することがあると思います。

 困難に出会ったときに立ち上がり、自分で気持ちを切り換えることができるように、機会あるごとに子どもが自分の心を
 コントロールする種をまいていきたいと思います。



 5月には各クラスの参観がありました。今回は参加型の参観と銘打ってお母さんの保育参加をお願いしました。
 自分の子どもと一緒に遊ぶお母さん、子どもから離れた位置で遊びの展開を見ているお母さん、子ども集団のメンバーとなって遊ぶお母さん
 いろんなお母さんの姿があり、私はいつものようにお母さんウオッチングをしていました。


 以前、参観にこられた方に『先生、参観は何時始まるのですか?』と訪ねられたことがあります。
 その母親のイメージは、幼稚園というところは毎日なんらかの活動を保育者が指導するところだと思われてようです。
 もちろんそうした活動も大切ですし、今でも必要な場合にはみな一斉に同じ活動をする機会がちゃんと設けられています。

 かつての幼稚園は一斉活動が中心で、自由な遊びは脇役扱いされていました。

 一斉授業の形態が主流である時代に幼児教育を受けた人から見れば当然の疑問かもしれません。
 しかし、現在の幼稚園教育の中で最も重視される遊びとは、あくまでも幼児の自発活動としての遊びです。
 内容としては昔の方々が空き地や路地、田のあぜ道などで子どもたちだけでに展開するのかも子ども次第なので保護者の目からみると
 安からぬ保育料を払っているのにとりとめもないことに、時間をかけすぎているのではないかという感想がでてくるのかもしれません。



 もう一方では「そりゃあ子どもはのびのびと遊ばせてやりたいとは思うけど、今の社会を見ていると、やっぱり少しでも早いうちから
 勉強に慣れさせておいたほうがこの子のためだと思う。」と言うような声も聞こえてきます。

私たち幼児教育に携わる者からすると、逆にもっともっと本物の遊び、すなわち本来幼児期に十分に経験しておくべき遊びを
 『遊びこみ』『遊びきる』ことこそが、今の子どもたちに課せられて課題であると考えています。



 若いお母さんたちが一生懸命に子育てされている姿を見ながら、若いころの自分の子育てを思い出します。

 子どもが生まれてから生活が一変し、予測していない変化に、イライラしたり、思い通りならないプレッシーがストレスとなっていたように思います。
 「子どもは夜は寝るもの」と思っていたのになかなか寝てくれず、私も不眠状況が続きました。
 休日には友達とおしゃべりしてリフレッシュしていたことができなくなり、旅行やショッピング、外食と自分のために使っていたお金もどこ行ったのか
 気がつくと掃除、洗濯、食事の世話、子どもの世話で一日があっという間に終わってしまっていました。



 「あぁ、私の人生ってこんなはずじゃなかったのに・・・」と嘆きながら子育てをしていたことが思い出されます。

子育て中はとことん子どもに振り回されるだけでなく、早寝早起き、バランスのとれた食事、我慢強い穏やかな性格というような
 超人的な生き方を余儀なくされ、親の生活態度がことごとく子どもの人格形成の基礎になると思うと、本当にしんどいと思いました。

 しかし、今思うと『思いどおりにならない』ことが私を育て子どもを育てることになったと思います。
 私たちは不自由さゆえに『忍耐と寛容』を学び、若い時代の気まぐれな習慣を矯正させてもらえたように感じます。
 気ままな自分を正しく矯正する時期が子育ての時期だったかもしれません。


 子育ての時期はあっという間に過ぎ去り、過ぎ去ったものにはかけがえのない、輝いた、いとおしい日々であったことを気付かされます。
 今、その真っ只中のみなさんに子育ての喜びをしっかりかみしめて欲しいと願っています。



                                                                   近藤瑠美子(2010.6)




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