「成長させてくださったのは神です」

 コリントの信徒への手紙一 3章6‐7節



白銀教会牧師・馬場幼稚園チャプレン 
野崎卓道

1.ゆり組の子どもたちの卒園を迎えて

 先日は、ゆり組の子どもたちの卒園礼拝をすみれ組の子どもたちやお母様方と共に守ることができました。
礼拝が終わった後、最後に別れのご挨拶を兼ねて、ゆり組の子どもたち一人ひとりを抱っこして持ち上げましたが、
一人ひとりの重みと共に、子どもたちの成長を肌で感じ取ることができました。
またゆり組の保護者の皆様からはきれいな花束を頂き、心からお礼申し上げます。


日頃、保護者の皆様には、子育ての忙しい合間を縫うようにして、馬場幼稚園のためにご奉仕くださいますことに
重ねて感謝申し上げます。
保護者会の閉級式では、各クラスを代表してお母様方がご挨拶くださいました。
お一人おひとりの子育てに対する姿勢、特にご自分の子どもだけではなく、他の子どもたちにも関心を持ち、
親も子どもも共に育ち合う関係を築いて来られたことを知らされ、心打たれました。
そして、お一人おひとり、表現の仕方は違っても、馬場幼稚園を深く愛し、教師たちの働きに
感謝の気持ちを表わしてくださったことに心からお礼申し上げます。
これほどに子どもたちからも保護者の皆様からも愛されている馬場幼稚園は本当に幸せだと思いました。




2.『子どもへのまなざし』

保護者会の閉級式の説教の中でもお話しましたが、つい一か月ほど前に、いつも皆様にご紹介している
佐々木正美先生の『子どもへのまなざし』の完結編が出版され、手に入れました。
佐々木正美先生はクリスチャンの児童精神科のお医者さんですが、私も子育てに当たって、この『子どもへのまなざし』を通して
多くのことを教えられてきました。


 佐々木先生によれば、戦前、封建的であった日本社会において、特に女性は人権も保証されず、
家の制度に縛られていましたが、戦後、民主主義の考え方が根づき、個人の人権が保証されるようになりました。
その中で日本人は自分の生きがいを求め、自己実現をめざして一生懸命生きる生き方、自分を大切にする生き方を
個人主義に求めてきたといいます。
そこまではよいのですが、日本人は健康な個人主義を通り越して、「自分だけがよければよい」という利己主義に陥ってしまったというのです。
そして、一般的に現代の親は自分の生きがいを優先し、なるべく自分の生活も変えないで育児をしているというのです。
子どもが望んでいるような愛し方をするのではなく、自分が望んでいるような子どもにしたいという育児になっていると指摘しています。


そして、そのような悪しき個人主義が地域社会や周りの人々との関係を失わせ、親を孤立させているというのです。
それが育児不安を大きくする原因になっているというのです。
特に一般的な傾向として、転勤などでその地に滞在している期間が短い親ほど育児不安を抱えており、
人間関係が希薄な人ほど育児不安は大きくなる傾向があるそうです。





3.共に成長し合うことの大切さ

 私はこの佐々木先生のお話を通して、ある説教の中で読んだ話を思い出しました。
それは、スイスの牧師ヴァルター・リュティという人の説教です。
リュティはまだ戦後間もない1950年頃、モーセの十戒の「姦淫してはならない」という戒めについて説教をし、
その中で次のようなことを言っています。
ドイツ語で「結婚する」という言葉は「婚姻を結ぶ」と表現します。
この「結ぶ」という言葉は、他に「ドアを閉じる」とか、「鍵を閉める」という意味でも用いられます。
夫婦の関係において大切なことは夫婦の節操を守ることです。
男女関係に関して言えば、結婚生活においては、ある意味、他の人が入り込めないほどに夫婦の関係が閉じられ、
鍵が閉められ、密閉状態が保たれなければなりません。
「姦淫」はこの密閉状態を破り、結婚生活に危機をもたらすことになります。


 しかし、結婚生活には、もう一つ別の危険があるとリュティは言います。
それは自分の家庭だけに閉じこもる「悪しきマイホーム主義」です。
それは言葉を換えて言えば、「自分の家族だけ幸せであればそれで良い」という自己中心的な考え方です。
そのような考え方は人間性を歪めるというのです。
リュティはドイツの作家フリードリヒ・シラーの言葉を引用し、「身近な仲間内に留まっていたのでは、人の心も小さくなります」と言っています。



その説教の中で紹介されている例話ですが、昔、中国で女性の足を美しく見せるために「纏足(てんそく)」という風習があったそうです。
幼い時に足をひもで縛って、先がとがった靴を履いて足を細く小さく見せるのです。
それは単に美しく見せるためだけではなく、当時の封建的な社会にあって、女性が自由に歩けないようにする意図もあったそうです。


 それを聞いて、当時ヨーロッパの人たちは中国人を馬鹿にしていたというのです。
しかし、リュティは、自分たちヨーロッパ人は「纏足」のようなことはしないかもしれないが、悪しきマイホーム主義によって
自分の内に閉じこもり、自分の魂を縛り上げ、人間性を歪んだものにしてしまったのではないかと自省を促しています。



 たしかに、子育てにおいては何よりも家庭が大切であることは言うまでもありません。
佐々木先生も一貫して言われているように、乳幼児期の子どもにとっては、親子の信頼関係を築くことが大切です。
なるべく子どもの求めに応じてあげる、欲求を満たしてあげる、そうすることによって、
子どもは親から大切な存在として愛されていることを感じ、親と子の「基本的な信頼関係」が築かれるというのです。



 しかし、他方で、自分の子どもを幸せにしたいと思うあまり、子どもに干渉しすぎるという危険もあります。
何でも親が口を出し、手をさしのべてしまう。それは本当の意味で子どもを成長させることにはなりません。
子どもは親とだけではなく、地域の人たちや他の大人、特に他の子どもたちとの広い人間関係の中で成長するからです。
子どもは遊びを通して、子ども同士で学び合い、成長し合います。
ですから、親が自分の子どもに過剰に干渉し、子どもを守ろうとすることは、反って子どもの成長を妨げる原因になるのです。
そして、子どもが広い人間関係の中で心豊かに成長するためには、親は自分の子どもだけではなく
他の子どもにも関心を持つことが大切なのです。





4.成長させてくださる神様

聖書にはこんな御言葉があります。

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
   ですから、大切なのは、植える者でも、水を注ぐ者でもなく、成長させてくださった神です。」

(コリントの信徒への手紙一3章6‐7節)


 これはもともと「教会」について語っている聖書の御言葉です。
ここで「わたし」と語っているのは、この手紙を書いた伝道者パウロです。パウロもアポロも神様の御言葉を伝える伝道者でした。
二人ともギリシアのコリントという町の教会で働きました。パウロが最初の種まきをし、教会の基礎を据えました。
そして、アポロがパウロの後任として、その働きを引き継ぎ、水を注ぎました。
しかし、教会を成長させてくださったのは神様だというのです。
つまり、誰か一人というのではなく、パウロやアポロといった、まったく個性の違う指導者を用いて、
神様はコリントの教会を成長させてくださったのです。
その人にはその人にしか果たせない役割があるということです。

 この御言葉は特に子育てについて大切なことを教えてくれます。
つまり、子育ては「共同作業」であるということです。
親だけが子どもを育てるのではなく、あるいは親が育てられないから、幼稚園に子どもを育ててくれることを期待するというのでもなく、
それぞれにはそれぞれにしか果たすことのできない役割があるのです。
そして、神様はいろいろな人間関係を通して、子どもも私たち大人も成長させてくださるのです。
そのことを知ると、子育ての重荷が少し軽くなります。



 教会では、3/9の水曜日から、イエス・キリストの御受難を覚える受難節に入りました。
受難節は、イエス様が私たちの罪を代わりに背負い、十字架に架かり、苦しみを受け、死んでくださったことを心に留める時です。
皆様も説教を聞く度に「罪」という言葉を聞くと思いますが、この「罪」がなかなか分からないと思うのです。
聖書が語る「罪」とは、何か人のものを盗むとか、人を殺すとか、そういう具体的な罪もありますが、
それよりも「自分さえよければそれで良い」という悪しき個人主義のことを言っているのです。


 でも、イエス様は十字架の死を通して、「自分さえよければそれでよい」というような生き方では、
人間は人間らしく生きられないことを教えてくださいました。むしろ、他者のために生きる生き方、
他者のために自分を犠牲にする生き方こそ、人間が人間らしく生きる道であることを教えてくださったのです。


 お子様が小学校に上がりますと、段々と親の手を離れて行きます。
親としては淋しさや不安を感じるかもしれませんが、子どもはそうして成長して行きます。
親の手を離れ、より多くの人々との関係の中で、子どもは心豊かに、たくましく成長して行くのです。
何より皆様は、成長させてくださるのは神様であることを知っているのですから、どうぞ、成長させてくださる神様に祈り
お子様方の成長を神様の御導きに委ね、これからも安心して子育てに当たって頂きたいと願っています。



 最後に、この原稿を書いている間に、東日本大震災が起きました。
皆様の中にも、恐らくご関係の方々が被災され、深い悲しみと不安の中に置かれている方がおられることとお察し致します。
この大災害をきっかけに日本中の人々が「自分さえよければそれでよい」という思いを捨てて、
「何かしなければいけない」という思いに駆られています。

私たちもできる限り、被災された方々と共にこの苦難を背負い、乗り切ることができるように祈りたいと思います。
被災された方々の上に神様の深い慰めと支えがありますように、そして、馬場幼稚園の子どもたちと
保護者の皆様お一人おひとりの上に神様の御守りが豊かにありますように心からお祈り申し上げます。